030 荘興、喜蝶を屋敷に住まわせる・2


 家令の允陶は、米問屋の跡取りとして、慶央城郭外で育った。

 読み書き算盤に長け、そして目端が利いた。

 しかし十七歳の時、失火で一家離散の憂き目にあい、声をかけてくれるものがあって、荘本家に働くようになった。


 一を聞けば十を察する賢さと、出しゃばることのない性格を荘興が気に入った。

 傍に置いて、こまごまとした日常のことを任せた。

 五年も経たぬうちに、允陶は、<荘興の懐刀>とある者には怖れられ、またある者には<宗主の腰巾着>と嫌われた。

 

 妻帯をしたことがなく、子もいない。

 「この仕事は、宗主と契りあったも同然」

 人になぜかと訊かれれば、そう答える。


 朝目覚めると、もろ肌を脱いで顔を洗い、文字通り首も洗う。

 そして必ず、新しい下着を身につけた。

 言葉の一つ所作の一つで、首と胴が簡単に離れる自分の立場を知っている。


 荘興が連れ帰った少女を見て、<真白い髪の少女>は本当にいたのだと驚き、少女の美しさと諦観を秘めた哀れさに心打たれた。


 しかし、彼はそれを顔の色に出すことはない。

 荘興が少女を屋敷に住まわせるつもりであれば、部屋の用意と少女の身の回りの世話をする女を探すのが、彼の仕事だ。


  



 


 荘本家に住み込み奥のこまごまとした用事をこなして、貞珂は十年となる。


 夫もいて子どももいる。

 古着屋を生業としている夫だが、酒好きで商い下手だ。

 酒代のカタに店を手放し、いまは路上で細々と売り歩いている有り様。


 彼女の給金がなければ、生活に行き詰まるのは目に見えていた。

 給金が支払われる日は、子どもを連れた姑が裏門で待つ。


 喜蝶に仕える下女探しをしていた允陶は、貞珂が所帯持ちであること、ここでの仕事を失うのを恐れて口が堅いことを好ましく思った。


 給金も上がるという話に、彼女に断る理由はない。


 ただ、新しい女主人は、ずっと伏せったままだ。

 日に三度、薬湯と薄い粥を啜るだけ。

 永先生は心配ないと言ったが、万が一のことがあれば仕事を失うかもしれない不安がつきまとう。


 




……趙藍と趙 蘆信の姉弟は、自ら選んだ覚悟の死。

 二人の亡骸は荘本家に所縁のある寺に頼み、ねんごろに供養して埋葬した。

 男はよい剣を携えていたが、それも一緒に埋めた……


 二人を追った者から、荘興が報告を受けたのは昨晩のこと。

 そして翌日の早朝。


 まだ明けやらぬ庭から聴こえてくる笛の音で、貞珂は目が覚めた。

 美しくもの悲しい、心に染み入る笛の音だ。


 夢現の中でしばらく聴き入っていた貞珂だったが、はっきりと目が覚めた。

 慌てて、裸足のまま庭に飛び出る。


 少女は白い寝衣姿で裸足のまま立っていた。

 貞珂の気配に気づき、構えていた笛を下ろし振り向いた。

 

「お嬢さま。

 お体に障ります。

 どうか、どうか、お部屋にお戻りくださいませ」


 その言葉に、少女が薄く微笑んだように見えた。

 その白い顔は、淡い朝の光の中でほころび始めた芙蓉の花に重なった。


「お嬢さま。

 湯浴みして、朝食を召しあがりますか?」


 少女がこくりと頷く。



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