031 荘興、喜蝶を屋敷に住まわせる・3


「喜蝶さまは、もっと食べねば。

 若い娘というものは、太っているものだ」


 少女の空になった皿に煮物の肉を盛ってやりながら、荘興は言った。

 しかし、少女がそれに箸をつけようとすると、彼は言った。


「ああ、そんなに食べてはだめだ。

 この数日、粥しか食べていない胃が驚く……」


 食べよと言い、食べるなと言う。

 上ずりうろたえる声が、五十歳にもなった自分のものだとは。






 三十年をかけて探し求めた<真白い髪の少女>が、目の前にいる。 


 目の前にいて、客桟・千松園の徐高に作らせ届けさせた朝食を食べている。

 同じ料理が、荘興の前にも並べられているが、彼は目の前の光景に心を奪われて、箸をつけることを忘れていた。


 ちらりと目の端で、部屋の隅にかしこまっている允陶と、新しく喜蝶の部屋付きの下女となった女の姿を確かめた。


 允陶は、女のような生白い顔で、無表情に空を見つめたまま。

 女は失態を怖れるあまり、その首を折れそうなほどに曲げて俯いていた。


「美味いか?

 喜蝶さまがいたく気にいっていたと聞いて、毎朝、千松園より作り届けさせていたのだ。

 昼には、蜜漬けの菓子も届くとか。

 そうだったな、允陶?」


「さようにございます」

 そう訊かれて、ちらりとこちらを見やった家令は短く答える。


 二人の言葉に、饅頭にかじりついていた少女が顔を上げた。

 小首を傾げてしばらく考え、言うべき言葉が浮かんで小さく叫んだ。

「オ・カ・シ!」


「おお、允陶。聞いたか?

 喜蝶さまが喋った。喋ったぞ。

 なんという可愛らしい声だ。

 そうか、そうか。喜蝶さまは、甘い菓子が好きなのだな」


 少女の唇の端に饅頭の白い欠片がついている。

 荘興はためらったのち手を伸ばした。

 欠片を払いのけてやっても、少女は嫌がる素振りをみせない。

 指を戻し難く、そのまま横に滑らして、白い滑らかな肌の頬を撫でおろす。

 少女が可愛らしく笑う。


「おお、喜蝶さまが笑ったぞ、允陶」


「さようにございます」

 先ほどと同じく、允陶が抑揚のない声で答える。

 いつもであれば、慇懃な返事が二度も重なれば、荘興の皮肉が飛んでくるところだが、今朝の彼は允陶の言葉など耳に入っていない。

 

 荘興は喜蝶がここに来た時と同じ着物を着ていることに気づいた。

「允陶、喜蝶さまに新しい着物がいるだろう」


 ためらうこともなく、允陶が答える。

「すでに呉服商・彩楽堂の主人に頼んでおりますれば、そろそろ仕立てあがってくること思われます」


「允陶、喜蝶さまも元気になった。

 男ばかりの屋敷では退屈に違いない。

 喜蝶さまくらいの年頃だと、どのようなもので遊ぶのか?」

 

 生き字引の允陶が、珍しく言葉に詰まった。

「人形とか、毬とか……。

 ……、私には妻もおらず、子もいないので、わかりかねます」


「役にたたない男だな、おまえは。

 古物を商っている舜 庭生に相談してみるといい。

 彼なら、宮中の姫たちが遊んでいる玩具にも詳しいに違いない。

 金に糸目を付けるな」



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る