021 徐平、父の文を懐に荘興に会う・3



 次男の平を呼びつけて、父の黄正は言った。


「この文を、宗主さまに直々に手渡すのだぞ。

 決して、宗主さま以外のものに読まれてはならぬ大事な文だ。

 難しい仕事だが、やり遂げられるか?」


親父おやじ、まかせてくれ!」


 憧れの宗本家宗主に直接会える喜びに、平は顔を輝かせた。

 そのくったくのない明るい笑みを見て、父の胸は痛んだ。


 小さな客桟の亭主が書いた文が、直接、荘興の手に渡る確率は低い。

 こういう文は、荘興が読む前に先に誰かが目を通す。


 その上に、荘本家の者たちは、荘興の<真白い髪の少女>への思い入れをおもしろく思っていない。

 たかが客桟の亭主の書いた文など、握りつぶされることも十分に考えられた。


 だからこそ、徐平なのだ。


 腕のよい調理人として、長男の高は荘本家の者たちに知られている。

 彼の腰の低いまじめな性格と顔を見知った誰かが、万が一に気をきかせて荘興に取り次ぐこともありえる。


 しかし平であれば、門番にすら相手にされず追い返されるだろう。

 運が悪ければ、不届きものとして、手痛い目に合わされるかもしれない。


 しかしそれで、荘本家に憧れる彼の目が覚めればと思う。

 世間では荘本家三千人とたたえるが、所詮は命のやり取りを日常茶飯とする裏の世界に住む者たちの集まりだ。


……首を刎ねられることはないだろうが、打ち据えられるに違いない。

  骨の一本くらいは折られるか。

  戸板に乗せられて帰ってくることになるだろう……


 しかしながら、荘興と真白い髪の少女の間に天の定めがあるのであれば、文は間違いなく荘興に届く。


 すべては天命だ。






 父から預かった荘興宛ての文を懐に、研水から慶央にある荘本家屋敷までの道を、徐平は夢中で走った。


 千松園を出た時は、東の山の稜線に顔を出したばかりの陽だった。

 だが、半刻も走れば、容赦なく彼の全身をあぶる。

 吹き出る汗で着物の色も変わったが、それでも彼は走り続けた。

 

 荘興の妻子の住む本宅は慶央城郭内の一等地にある。

 しかし、荘興が寝起きし荘本家三千人が出入りする屋敷は、慶央城郭外の山すそにあった。


 高い土壁に囲まれた広い敷地の中には、うまやも含めて何十棟も建物が建っている。そのうえに物見櫓ものみやぐらまで備えているので、まるで出城か砦だ。


 大きな門の前には、長槍を携えた門番が常に二人。

 走り通しで息を弾ませた徐平は、大声で門番に言った。


「おれは、研水の客桟・千松園の亭主・徐黄正の次男、徐平。

 宗主さまに直々に会って手渡しせねばならぬ、大切な文を持ってきた。

 お目通りを願う」


「客桟のせがれが、宗主に直々にお目通りしたいだと? 

 何を寝ぼけたことを言う。

 その首が体についているうちに、さっさと帰れ、帰れ」


 案の定、有無を言わさず、門番たちは徐平の体を長槍の柄で押し返した。

 しかし、徐平も引きさがってはいない。

 あらん限りの大声で叫んだ。


「おれの懐に入っているのは、宗主さまが直々に読む大切な文だ。

 おれを帰したりしてみろ。

 宗主さまの怒りに触れて、首を刎ねられるのはお前たちだぞ」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る