018 商港・研水の街外れに、客桟・千松園あり ・2
騒がしかった蝉の鳴き声も途絶えて、傾いた金色の日差しにものの哀れを感じる夕刻時。
客桟・千松園の門に、若い男と女の三人連れが泊り客として立った。
予約の文をもらっていない、飛び込みの客だ。
そういう客の見定めは、亭主・徐黄正の役目だ。
客桟の亭主をしていると、人を見る目は自然と身につく。
「江長川を渡って来られましたか」
徐正がそう問いかけると、男と女は草で編んだ笠を外して顔を見せた。
「そうだ、隣国の呉建国から船で着いたところだ。
私の名は趙蘆信という。
三人で泊まれる部屋を頼みたい……」
そう答えた長身の男の顔は陽に焼けていて、長旅であることを物語っていた。
着ている着物は麻の粗末な旅装であったが、彼が腰に提げている刀に、黄正の目が留まった。
目立つような豪奢な飾りは施されていないが、作りのよさは、元兵士であれば見抜ける。これほどのよい刀を持つとは、家柄もよくそして剣術にも長けているのだろう。
そう思って女を見ると、美しく
そして隙のない立ち姿に、この女も武芸のたしなみがありそうだ。
男と女は雰囲気が似ている。
夫婦ではなく姉弟なのか。
荘本家の末端に関わる者として、隣国から来たばかりだという彼らへの好奇心が湧いてきた。彼は後ろを振り返ると、控えて立っていた通いの下働きの女に言った。
「お客様に、足水を持ってきてさしあげなさい。
ご挨拶が遅れました。
わたくしはこの千松園の亭主で徐黄正と申します」
笠を外さぬまま、男と女の影に隠れるように立っていたもう一人の女は小柄だ。
着物のうえから見てとれる骨の細さと肉付きの薄さから見て、まだ大人になりきれていない少女であろうと思えた。
しかし笠を外した女が振り返って、「喜蝶さま、お疲れになりましたでしょう。今夜はここで休むことになりましたゆえに、ご安心ください」と言う気遣いに、こちらはどうも姉妹ではないようだ。
「ちょうどよい部屋が空いております。
二階になりますれば、窓より江長川が見下ろせます。
夜には涼やかな川風も入ってまいりましょう」
上がりかまちに座って足を洗わせている男に、黄正はそう告げた。
彼の姉だと思われる女は片膝ついて、少女のわらじを脱がせている。
女のその献身ぶりと、それを鷹揚に受け入れている少女の関係とはどのようなものであろうか。
少女はまだ笠を深くかぶったままだ。
「足は痛みますか?」という女の問いかけに、少女が首を振った。
笠が小さく揺れる。
笠を取り忘れているというよりも、人に顔を見せたくないのだろう。
そして少女が、細長い錦の袋を背中にたすきに背負って、その紐を胸の前でかたく縛っているのに気づいた。
徐黄正は思った。
……ああ、笛なのか……
以前にも、そのようにして笛を携えている客を泊めたことがあった。
初老の男だった。
「笛をお持ちでございますか。
さぞ、音色は美しいのでございましょう」
徐正の問いかけに、男の客は答えた。
「この笛だけが、長旅の唯一の友でしてな」
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