017 商港・研水の街外れに、客桟・千松園あり ・1


 慶央の町の繁栄には、江長川が密接に絡んでいる。

 一度に大量の人と物資を運ぶのに、船に勝るものはない。


 慶央の町の外れにある商港・研水には、国内外から客船・商船が集まった。

 また、立ち入りは厳しく禁止されていたが、少し離れて軍港もある。

 おびただしい軍船が整然と並ぶさまも、みごとな景色だ。


 船の出入りにともなって、たくさんの人も動く。

 研水では、客桟と飯屋と土産物屋が軒を連ね、そして盛り場は不夜城のごとく、朝まで提灯と篝火の灯りが消えることがない。







 賑わう通りから少し外れて、客桟・千松園はあった。


 一晩の泊り客は十人ほどという、小さな客桟だ。

 びんに白いものが混じり始めた徐黄正という名の亭主が、家族とともに切り盛りしている。


 徐黄正は若いころ、青陵国の南隣・呉建国の兵士だった。

 兵士といっても、彼も荘興と同じような小役人の家の生まれであったので、字が書けて算術もでき、如才なく振舞えた。


 彼は軍部の兵糧を扱う部署にいたのだが、そこでは商人と一部兵士の間で、不正が絶えなかった。彼自身は不正を嫌う性格であったので、関わりを持たなかったが、そういう生真面目な性格は仲間からは煙たがられる。


 ある日、同僚の不正の罪が自分にかぶされそうになったことを察し、彼は逃亡した。そして流れ着いた青陵国で、元の名前は捨てて徐黄正と名乗り、荘本家に身を寄せた。


 元兵士でもあり体格もよかったので、荘本家では、手っ取り早く刀を振り回す出入りの場に仕事を得た。まだ立ち上げて間もなかった荘本家は、その頃頻繁に、縄張り争いを繰り返していたのだ。


 ある時、相手に深く斬りつけられて彼は大怪我を負った。


 一命は取り留めたもののかたわ者となった。

 流れ者の独り身でかたわ者となれば、生活の糧を得る道を見失い、野垂れ死ぬのを待つしかない。


 しかし、その才と実直な性格を聞き及んでいた荘興が、気が利いて働き者の女を彼に娶らせたうえで、なにかのカタで手に入れていた客桟・千松園の亭主に据えたのだ。


 千松園は小さな客桟だ。


 それでも贅沢を望まなければ、上納金を納め、妻と子どもを養えた。

 今では成長した子どもたちも客桟を手伝う。


……長男の高はもうすぐ二十歳になる。

  嫁を取らせたら、荘興さまに願い出て、千松園を大きくしたいものだ……


 最近の徐黄正は考えている。


 高は器用で、包丁を持たせるとなかなかの腕前だった。

 泊り客の中には、彼の作る料理を楽しみにしている常連も多い。


 故郷と名前まで捨てた自分が、異国の地で将来の夢を持てるのも、すべては荘興さまのおかげだ。


 一日たりとも恩義を忘れたことはない。

 月に一度、上納金に江長川で捕れた生き鯉を添えて、納め続けてきた。


 そしてまた、泊り客から役に立ちそうな情報も集めた。

 それらはすべて竹簡にしたため、荘本家に送る。








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