016 趙藍と蘆信、真白い髪の少女と共に西華国を旅立つ・7

 

 馬と馬車は、数日後に捨てた。

 街道を離れて山に入り、獣道けものみちを歩く。


 それでも突然に正体の知れない敵からの襲撃を受けた。


「彼らは、私たちの殲滅せんめつを狙っているのではありません。

 喜蝶さまの奪還が目的であれば、無碍むげな戦いを仕掛けてはこないはず。

 であれば、こちらに分があるというもの」


 そう言って趙藍も刀を取り、喜蝶を背にして守り戦う。


 何度かの襲撃を受けて、こちらの男たちの数も少しずつ減っていったが、それは敵も同じだった。


 襲撃が度重なるごとにその間合いが開き、敵の数も減っていく。

 仲間の補充が出来ないほどに、敵もまた切羽詰っているのだ。







 三か月をかけて二つの国境を越えた頃、襲撃がぴたっと止んだ。

 それで異国の小さな町の宿に身を潜め、西華国からの風の便りを待つ。


 それは一か月待って、彼らの耳に届いた。


 第三皇子が太子に冊封され、姉の陵容が太子妃となった。

 父・趙蘆富の思惑通りに、いずれは彼の孫である項楊正が天子となる道筋がついたという訳だ。


 そのことと喜蝶がどう関係したのか。

 趙藍は決して語ろうとしなかったので知るすべはない。

 

 また蘆信の妻が無事に出産したのかどうか。

 そうであれば生まれた子は男であったのか、女であったのか。

 それもまた、異国の地にあって知るすべはなかった。


 国を出た時は二十人いた警護の猛者たちも、今は五人になっていた。

 彼らに、帰国の途の無事を祈る言葉とともに別れを告げた。

 そして彼らの後ろ姿が見えなくなると、趙藍は夏の終わりの空を仰いで言ったのだ。


「喜蝶さま。これから秋となり冬となれば寒くなります。

 まずは南へと参りましょうか」


 意味がわかっているのか、わかっていないのか。

 その真白い頭の美しい顔を少し傾けて、喜蝶がオウム返しに言う。


「ミ・ナ・ミ」

「さようでございますよ、喜蝶さま。ミナミでございます」







 その日から五年間を、時に中華大陸を大きく南北に縦断しながらも、三人は確実に東に向かって歩き続けた。覚えていられないほどの多くの国を、縦に横に斜めに通り過ぎた。


 蘆信にはあてのない旅としか思えなかった。

 だが、趙藍には確かな目的があったようだ。

 それが何なのかは、これもまた、彼女は語るつもりはないようだ。


 喜蝶が街角で笛の<朱焔>を吹けば、すぐに人だかりが出来て、路銀はいかようにもなった。昔取った杵柄で、夜にこっそりと宿を抜け出して、蘆信も賽子さいころを振って小遣いを稼いだ。


「もう自分たちのことを知る者は、誰もいない。

 いっそのこと落ちついて暮らそう」


 何度も姉にそう言ったが、そのたびに、趙藍は頭を横に振る。


 彼女は三十路に近いが、化粧して着飾れば、大店の後妻にと望まれることは間違いないだろう。自分も道場を開いて、剣術を教えるのもいいのではないか。

 そしてあと数年待って、美しい大人の女となった喜蝶を妻にする。


 何かを探し求めて足を休めようとしない姉だが、いずれは諦める日が来るだろう。





 晩春に西華国を出て、五度目の夏の終わりとなったある日。

 彼ら三人は江長川を渡る船の上にいた。


 銀狼山脈の雪解け水を集めた小さな清流は、広大な中華大陸を西から東へと流れるうちにその川幅を大きく広げ、江長川という名をもつ。


 いま彼らの乗る船は、悠々と流れる泥の色をした、向こう岸の見えない大河の上に浮かんでいる。あと少しでこの河は東へと流れ、それから蘆信がまだ見たことのない海へと注ぐ。


 その日の夕刻。


 青陵国の南・慶央の町はずれの商港・研水で船を降りた三人は客桟きゃくさん・千松園の前に立っていた。






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