商港・研水の街外れに、客桟・千松園あり

010 趙藍と蘆信、真白い髪の少女と共に西華国を旅立つ・1




 天界の神々がたわむれに創られた広大な中華大陸。

 銀狼山脈は、その中華大陸の西側に屏風のごとくそびえ立っていた。


 中華大陸の東の果ては海だ。

 その海の先に何があるのか、人間たちは知らない。

 だから、西の果てにそびえる銀狼山脈を越えた向こうに何があるのか。

 たぶん、何もないのだろう……。


 銀狼山脈の峰々の頂きは万年雪を抱き、常に雲の上だ。

 その雲間が晴れることは滅多にない。


 銀狼山脈の麓にある西華国に住むものたちでさえ、銀色に輝く頂きを拝み見ることが出来るのは、年に数度のことだった。





 趙蘆信ちょうろしんは、その西華国で禁軍の剣術師範代を務めていた。


 彼の生家・趙家は、代々、天子を守る禁軍の大将軍を担ってきた家柄だ。

 いま、彼の父がその地位にある。


 しかし、趙蘆信の母は家柄の低い出の側室であったので、父の地位を継ぐのは、正室の母から生まれた兄と決まっていた。


 そのことを羨ましいと思ったり、悔やんだりしたことはない。

 それは、母を同じくする姉の趙藍ちょうらんも同じであろう。


 蘆信と藍の異母姉の趙陵容ちょうりょうようは西華国・第三皇子の妃だ。

 幸いなことに、男子にも恵まれている。

 そして、趙藍は嫁ぐことなく、陵容に宮女として仕えて十年となっていた。


 父は禁軍の大将軍で、異母姉は第三皇子妃で実姉は宮女となれば、蘆信になんの不足があろうか。


 剣術師範代という、禁軍においては低い身分でありながら、苦労という苦労は経験していない。常に彼は仲間や上司に一目置かれていた。


 生まれながらの気質で、深く考えることが嫌いだ。

 小さい時から、木剣を振り回しては、人を打ちのめすことが好きだった。

 武家の出らしく、彼は体格にも容姿にも恵まれていた。


 二十歳を過ぎた時に美しい妻を娶り、数か月後には初めての子も生まれる。

 それでも彼は、悪友たちと盛り場に繰り出す日々を過ごしていた。

 賭場での喧嘩に明け暮れ、美しい女の尻を追いかける。


 しかしながら、それもこれも、ある朝突然に、父である大将軍・趙蘆富ちょうろふに呼びだされる前のことだ。





 銀狼山脈の麓にある西華国は冬の寒さの厳しいところだ。

 しかし、春の訪れとともに、すべての草木が芽吹きそして花開く。

 石塀に囲まれた狭い路地にいても、咲き乱れた花の匂いが鼻孔をくすぐり、忙しなく飛びかう虫の羽音が聴こえた。


 そのように美しく穏やかな晩春の朝。


 従者を連れて蘆信が家を出たところを、突然、人影が現れて、彼の乗る馬のくつわを掴んで引き留めた。


「何者か!」と叫び刀の柄に手をかけた蘆信に、「大将軍がお呼びでございますれば、お急ぎを」と、その人影は気配を消したまま言った。

 そして行き先として趙家の別邸を告げた。


 父の耳に入って困るような喧嘩沙汰を、この最近は起こしていない。

 思い当たるのは新妻の懐妊しかない。

 日々に腹が膨らんでくる妻に、祝いの贈り物でもあるのだろうか。


 父に会えばすべてわかることだと呑気のんきに思った。

 






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