006 二十歳の荘興、老旅の僧・周壱と出会う・4


 語り終えた周壱は酒の甕を口元に運んだ。

 しかし、彼の尖った喉仏が動くことはなかった。

 酒はもう、甕に残っていなかったのだ。


 それでも宙を見据えたまま動こうとしない。

 長い思い出話を語って疲れたのか。

 それとも、飲み干してしまった酒に未練をおぼえたのか。

 

 「ではまた、明日より、その歳を取らぬという真白い髪の少女を探す旅を続けられるとよかろう」


 荘興は周壱に言った。

 一度襲ってきた眠気が、いまは消えている。


 しかし、周壱には荘興の言葉は耳に入っていない。

 自分に語り掛けるように、彼は呟いた。


「若い人に、こうして昔語りをして、いま、思い当たった。

 六十年も昔、年端もいかぬ小僧のわしに、尊師が昔話を語って聞かせたその想い。そして、今宵、わしも胸に秘めていた昔話を、初めて人に語りたいと思ったこの想い……」


 そう言うと、再び、周壱は石のように無言となった。

 聞こえてくるのは夏虫の音だけ。

 再び、荘興がその沈黙を破った。


「さて、その想いとは?」


 周壱の声は驚くほどに力強かった。

「わしも、死期を間近に感じるのだ」


 その言葉を、荘興は即座に打ち消した。


「なんということを言う。

 足は悪そうにお見受けするが、ご老僧の声はいったて元気そのもの。

 足さえ治れば、旅は続けられるであろうに……」


 蝋燭の灯りの中で、荘興は投げ出されている周壱の右足を見やった。

 二人が語り始めた時より、その足はぴくりとも動いていない。


「自分の体のことは、自分が一番よくわかる。

 この足は日々に悪くなっている。


 歩き続けた日の夜など、まるで丸太をぶらさげているように感じる。

 このまま旅を続ければ、行き倒れするのは、火を見るより明らかなこと。

 かといってここに留まれば、この体は、明日にでも野犬の餌となることも必定。」


 彼は一度言葉を切り、意を決したかのように再び話し始めた。


「長い放浪の旅が、苦しかったことばかりといえば嘘になる。

 何度か、今度こそ、探し求める真白い髪の少女に出会えるかもしれないと胸が高鳴り、無上の喜びを感じた日もあったことは事実。


 しかし年のせいか、動かなくなった足のせいか。

 この最近は、生も根も尽き果てたという思いに囚われてしまった。


 そこで、若い人。

 おりいって、この周壱、生涯最期の頼みがある。

 荒れ寺とはいえ、こうして御仏の像の前で出会ったのも、何かの縁。

 それを含んで、どうか、老いた僧のたっての頼みを聞いて欲しい……」


 「生涯最期の頼みとは、なんと大げさな。

  この荘興、見ての通りの若輩者。

  しかしながら、ご老僧のお役に立つのであれば、喜んで手をかそう」


 荘興は、したたかに飲んだ酒に酔っていた。


 そして彼の心は、いま聞かされたばかりの<不老不死の真白い髪の少女>に囚われていた。

 そのうえに蝋燭の灯り一つという薄暗さもある。

 周壱の思い詰めた表情にも声音にも気づかなかった。




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