003 二十歳の荘興、乞食僧と出会う・1




 泗水しすいの町を出て、一か月が過ぎようとしていた。慶央を目指し、荘興は南に向かって歩いた。気ままな旅もこれで終わりかと思うと、急ぐ帰路でもない。おのずと、この五年を懐かしむように、心も足ものんびりしてしまう。

 

 目指す故郷は、山をいくつか越えた先にある。

 

 慶央の街を出た時と同じように、この一か月、再び彼は物見遊山の旅を楽しんだ。懐の中には、園格からもらった金子がたっぷりとある。そしてまた、大人となってしまった自分が故郷に帰れば、これからは気ままな旅はできないだろうという思いもある。

 

 その夜は、途中の山中で見つけた廃寺で野宿と決めた。

 一度行き過ぎて、先の道にあった茶屋で酒と肴を買い込み戻る。園挌えん・かくからの餞別で金子に不自由はしないが、常に倹約を心掛けた五年間の旅の癖が抜けない。




※ ※ ※


 廃寺は火災にあったようだ。


 幾棟かの僧坊や庫裡くりの土台が生い茂った夏草に埋もれ、本堂だけが唯一その形を残していた。その本堂の破れ戸を押し開けてみれば、床は所々朽ち落ちて、屋根にいたっては大穴が開いている。


 茶店で買い求めた酒甕と肴を包んだ竹の皮をそれぞれにわらで縛って肩にかついでいた荘興は、本堂の入口に立ち中をさっと見渡した。


 人の出入りした痕跡も見当たらず、野犬の巣ともなっていないように思えた。夏のたった一夜をすごすのには最適だ。体を休める場所をさがして、床を踏み抜かぬようにと気を配りながら、足探りで本堂の奥へと進んでいく。


 新月の夜だった。


 満天の星明かりが屋根の大穴を通して、荒れ果てた本堂の中を照らしている。凄絶なほどに、すべての影が青い。聞こえてくるのは夏虫の賑やかな鳴き声と、きしむ床を踏み歩く自分の足音だけだ。


 その時、ものの動く気配がした。


 目を凝らして見れば、本堂の奥に、傾いて今にも倒れそうな仏像が座している。その後ろに隠れるようとしている、四つ足で動く青い影がある。


 昼間には気づかなかったが、ここはやはり野犬の巣となっていたのか。腹をすかせた野犬が夜になって戻ってきたのか。振り分けにして肩にかけていた酒の甕と肴の包みを静かに床に置くと、彼は刀の柄に手をかけた。


 一人旅をする者の用心として、荘興は刀を持つようになっていた。そして、機会があればその扱い方の教えを請うてもきた。生まれながらに恵まれた体型と胆力もあって、この五年で、彼はなかなかの剣の使い手となっていたのだ。


 その時、四つ足の青い影より、はっきりとした人間の男の声が返ってきた。


「わしは足の不自由な旅の老僧だ。名は周壱しゅういつという。残念ながら、おまえが望むような金目のものは、何も持っていない。早々に立ち去ってくれ」


 星明りに目が慣れてきた。僧侶だという言葉に目を凝らして見やれば、確かに僧衣らしきものを身にまとった先客がいる。犬のように這っているのは、偽りなく足が不自由なのだろう。怪我を負っているのか。


 昼間に下見した時は姿を見かけなかった。彼も自分と同じく、ここで夜を明かすつもりだったのか。


「ご老僧、驚かせてすまないことをしました。おれも、ここに一夜の宿を求めた旅の途中の者だ。名は、荘興そう・こうという。同じ屋根の下に、夜露のしのげる場所を借して欲しいのだが」


 「なんと、なんと。そうであったか。そうであれば、なんの遠慮をすることもない。お若い人、さあさあ、こちらへ来るがよいぞ」


 仏像の影より這って現れた人の影が居住まいを正し、そう言った。 




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