『champ de fleurs』

「ここ………か?」


母が描いてくれた地図と、目の前に建つ店を見比べる。場所的にはここだし、入口のテントには『champ de fleurs』とオシャレに筆記体で書いてある。


それに何より、ここは花屋だと言わんばかりに外へ花が溢れ出ている。


とりあえず邪魔にならなさそうな所へ自転車を追いやり、ドアを引いた。

チリン、と可愛らしくベルが鳴る。


「すんませーん」


………応答がない。店内はそこまで広々としているような感じではないのだが、声が聞こえないような所にでもいるのだろうか。

とりあえず、と一歩踏み入れもう1度叫ぶ。


「あのー、どなたかいますかー」


………やっぱり応答がない。はぁ、とため息を零して早々に店主を呼ぶのを諦め、店内を眺める。

中央には人ひとりやっと通れるかというくらいの通り道が申し訳程度にあり、その両サイドには迫り来る勢いで花々が咲き乱れている。


植物特有の、生命の瑞々しさに溢れたグリーンな香りがする。


人生で初めてこんな場所に足を踏み入れたからよく分からないけど、花屋っていうのはどこもこんな香りがするんだろうか。


花々に導かれるまま、自然と歩を進める。

色鮮やかな花の中で、薔薇と目が合った。どこか吸い寄せられるように手を伸ばす。

指先が触れ、青が揺れた。

青。目の覚めるような、青い薔薇。



綺麗だ。



花弁はめいっぱいに開き、1枚1枚の間隔はまるで計算し尽くされたように均等が取れている。

薔薇だけじゃない。ここにある花は全部そうだ。

全ての花が、自分の最も魅力的な姿をよく知っている。その姿を客に晒して、なお輝く。


花の事をよく知らなくても、分かる。

莉杏というその人は、心を込めて花を手入れし、心を込めて花を売っているんだろう。

だからこそここまで、花が美しく咲いているんだろう。


そっと触れる。壊さないように、美しさが損なわれないように。




「『奇跡』『不可能』『夢かなう』」




春風が吹いたような、穏やかな声が響く。

え、と声のした方を見て、そっと息を呑んだ。

色白の肌に対象的な、背中の中ほどまで流れる黒髪。光に透ける、淡くブルーのかかった瞳。

青薔薇をどこか愛おしそうに見つめていたその瞳がこちらを向いて、ドキリとする。


「青い薔薇の花言葉です」

「え」

「薔薇は元々、青の色素を持ちません。ですから自然界には青い薔薇が存在せず、愛好家の間では青い薔薇を作るのは長年の夢だったんです」


白い指先が長い髪を耳にかけ、女性の形のいい右耳が顕になる。


「それまでの花言葉は、『不可能』だとか『ありえない』でした。長年の研究の積み重ねが実を結び、青い薔薇が出来た時には『夢かなう』とされたんです」


女性の瞬きで一瞬淡いブルーの瞳が隠され、またその瞳の焦点が俺を結ぶ。


「素敵だと思いませんか?」


問いかけられて、慌てて頷く。


「………あのー、もしかして咲坂莉杏さんですか?」

「はい。あなたは草壁大地さんですね?千鶴さんから伺っています。せっかくの春休みなのに、お店の手伝いだなんてごめんなさい」

「いや、その事はいいです、大丈夫です」

「そうですか?………では早速で申し訳ないですが、色々と説明したい所がありますので、ひとまず奥へどうぞ」


咲坂さんは店のドアに『CLOSE』の文字をかけると、通り道を軽やかに歩いていく。

まるで奥へと誘うように、彼女が歩いた後の花がユラユラと揺れた。

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シャンドフルールの客人 春川 薫 @book-of-spring

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