黎明
生まれ育った懐かしい町もまた、ひっそりと終わりつつあった。朝日に照らされて、誰もいない大通りが白銀に輝く。終わった人や動物たちがどこにもいないことを不思議に思ったが、死すら終わったのだと考えると合点がいった。そういえば街路樹もまばらだ。植物も終わるのだ。
ここまで来て、私は迷っていた。帰りたい一心で歩いて来たが、私はどこに帰りたいのだろう。
実家だろうか。父と母のもとだろうか。どちらも少し違う気がする。私は歩く。早朝の町をひたすらに歩く。眩しい光に目を細め、冷たい空気に鼻をすする。できれば、太陽が終わるのは一番最後にしてほしい。
狭い町内をぐるっと一周して、私はようやく帰りたい場所に思い当たった。私が短い生涯で、けれど短過ぎるとも言い難い生涯で、唯一愛した女性。結局は想いを伝えられないまま、私と彼女の人生は分岐した。彼女のもとへ帰りたかった。
彼女も帰って来ているのではないか……そう思い、探すことにした。まずは彼女の生家。次に小学校。よく一緒に遊んだ公園。探しているうちにまた日は傾き、夜になる。防災無線は沈黙している。
いつだったか一緒にビデオを借りに行った、少し遠くのレンタル店にも行ってみた。誰もいない店内、私より背の高い棚を見て回る。いくつか借りられたままの空白がある。パッケージを取ってみると――「スタンド・バイ・ミー」。私はこの映画が苦手だった。私は過去とも自分とも決別できないまま、旅すらできないままに終わろうとしている。
逃げるようにその場を立ち去ろうとして、ふと人の気配に気が付いた。レンタル屋に並ぶクリーニング店のカウンターに、剥げたおじさんが座っている。「やってるんですか」と訊ねると、「そんなわけないだろ」とにべもない答え。「でも、ここがいいんだよ」とおじさんは言った。「おれはずっとここだったんだ。だから、ここがいいんだ」
乾いた頬のおじさんがここに座っているのは、未練なのか、それとも決意なのか。私には分からなかった。
「じゃあ、さようなら」「はい、さようなら」
どちらからともなく別れの挨拶を交わす。クリーニング店を出て振り向くと、おじさんは終わっていた。
町中探し回ったけれど、結局彼女はどこにもいなかった。考えてみれば当たり前のことだ。彼女は既に結婚しており家庭もある。終わる瞬間に会いたいのは心から愛する家族だろう。私のように、思い出に縋り付いてなどいないはずだ。
私はひとりぼっちだ。もう今さら泣くこともなく、私は上着のポケットを探った。身一つで飛び出したのでろくなものは入っていない。小銭、コンビニのレシート、鍵。
……鍵?
何の鍵だっけ。プラスチックのクラゲがぷらぷら揺れている。蓄光顔料が入っているのだけれど、ずっとポケットに入れっぱなしだったので全く光らなかった。
ずっと。いつから入れっぱなしだったんだっけ。何の鍵だっけ。その答えを私は知っている。「終わり」を知ったときのように、ただ直感した。これは、私の望むドアを開ける鍵だ。
片側一車線の道路に、スタンド・バイ・ミーのパッケージにあった、少年たちの背中を重ねる。その背中はやがて私になる。今この瞬間こそが、決別の旅だと知る。
深夜の町に、防災無線がキインと鳴った。
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