宵
携帯は使えない。試してみたが、公衆電話も駄目だった。車のエンジンも電車も止まった。船はかろうじて動くようだ。人と人との繋がりが切れる。誰も彼もがひとりぼっちになる。防災無線の古いスピーカーが、音割れした「夕焼け小焼け」を流している。
ゆうやけこやけでひがくれて
やあまのおてらのかねがなる
これを流した人も、世界の終わりを感じ取ったのだろうか。テープに録音された唱歌は、懐かしいメロディで帰宅を促す。
おててつないでみなかえろ
からすといっしょにかえりましょ
夕焼け空にカラスを探す。いた。豆つぶのような黒い影が、神社の森へ帰って行く。心なしか、いつもより数が少ないような気がする。
私も帰らなければ。
独り暮らしのマンションは居心地こそ良いが、私が本来帰るべき場所はここではない。私は手ぶらのまま、靴だけ歩きやすいものに履き替えてそこを出た。南西向きのワンルームを、赤い西日が照らしている。もうここへ戻ることはない。
ゆうやけこやけでひがくれて
やあまのおてらのかねがなる
ごじになりました……
はやくおうちにかえりましょう……
くるまにきをつけてかえりましょう……
少し迷った後で、私は線路を歩くことにした。どうせ電車は通らない。ここをずっと行けば、道に迷うことなく隣県まで行ける。
はやくおうちにかえりましょう……
くるまにきをつけてかえりましょう……
防災無線が私を急かす。終わりが来る前に、早くお家に帰りましょう。日が沈む。果たして明日は来るのだろうか。こおりつぶてのような不安を胸にいだきながら、私は歩く。すっかり頭にくっ付いてしまった、夕焼け小焼けを口ずさみながら。
だけどしばらく歩いて、もう日も暮れてしまったのだし、夕焼け小焼けはシーンにそぐわないなと気付き歌うのをやめた。いつのまにか防災無線も聞こえなくなっている。スピーカーも終わってしまったのか、聞こえないほど遠くへ来たのか。
代わりに何を歌えば良いだろう。深夜の行軍に無音は寂しすぎる。夜から歌を連想する。子供の頃、寝付きの悪い夜に歌ってもらった歌を思い出した。
つきのさばくをはるばると
たびのらくだがゆきました
どこか遠く遠くの地で、旅のラクダも終わっているだろうか。その背に乗った人も、その人を待つ人も、その足元のサソリも。みんな終わっているだろうか。
ひどく悲しくて、私はぽろぽろ涙を流しながら歩く。長く続いてきた人間の歴史。生命の歴史。いつか終わりを迎えるべきものだった。その「いつか」は遠い未来ではなく、今だった。
終わる。終わる。終わる前に帰りたい。
不思議なことに、眠気も飢えも渇きも足の痛みも、どこか夢のように感じられた。夜通し歩く。終わりはすぐそこまで来ている。
*
詞:中村雨紅・曲:草川信作
「夕焼小焼」より、歌詞を一部引用
詞:加藤まさを・曲:佐々木すぐる
「月の砂漠」より、歌詞を一部引用
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