まもなく世界が終わります。

深見萩緒

薄暮


 増えるはずの細胞が、全く増えなくなってしまった。


 脳神経の細胞、胎児の腎細胞、驚異の増殖力を誇る癌細胞ですら、全く増えずにしぼんで消えてしまう。私の仕事はそれらの管理とそれらを使ったいくつかの試験を行なうことで、本来なら培養環境や細胞の劣化などあらゆる可能性を考え、対処しなければならなかった。

 しかし私は――私だけでなく、その現象を知った全ての者たちは、直感した。それはまさに「直感」で、霊感とか第六感とか呼ばれるものに近かったように思える。

 とにかく、私たちは他の人たちよりもほんの少しだけ早く確信した。世界は、まもなく終わる。理屈はない。しかし確実に終わると断言できた。つい最近、二人目の子供が産まれたばかりの平野さんが、声もなく泣き崩れた。



 ごとごと、バスに揺られる。三十分もすれば家へ着く。まだ昼過ぎだが、仕事は急遽取りやめになり帰宅が促された。私の隣には、職場で一番気を許せる上司が座っている。彼はもう五十に迫ろうかという歳の頃で、私はまだ社会人になって二年。先に「終わり」に気が付いたのは、彼の方だった。

「ぼくは、良いんですけどね。生きるのにも飽きてきたし、家族もないし。決別すべきものも特にありません」

 いつもと同じ、少しだけ眠たそうな声で彼は言う。

「でも、若い子たちは」

 その先の言葉は続かない。いつのまにか、携帯電話は黒く沈黙していた。そうしたら、すぐに変な音を立ててバスのエンジンも止まった。どうしたことかと首をひねる運転手に運賃を渡し、私たちは歩き始めた。終わりが来ている。終わるのは生命だけではないんだなと、私はわけもなく安心した。全てが終わる。


「きみは、どうするんですか」

 橋の上で、彼は言った。「ぼくはこの町で生まれ育ちました。この町で『終わり』ます」

 彼は私より背が高いけれど、小太りで身体が重いためか歩くスピードは私と同じくらいだ。私は彼と肩を並べて、橋から川を見下ろした。

「きみは、どこで『終わり』ますか」

 どこで終わろうか。私の生まれは隣県だ。どうせなら生まれ故郷で終わりたいけれど、歩いてどれくらいで着くだろう。終わる前に着けるだろうか。

「わかりません。でも、帰れるところまで帰ってみようと、思います」

 彼は頷いて、「ぼくはこっちですから」とY字路の右側を指差した。私の家はここを左へ行く。

「じゃあ、さよなら」

 彼は軽く会釈をした。

「さようなら」

 左様なら。今生の別れだろう。

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