(10)知らないさ。だから僕も。
話はそれから約1年飛んで、僕が再び祖父の家に帰省した時のことだ。
時期は少しずれ込んでお盆の頃。この時期の海に入ればクラゲ祭りだということは僕も知っている。
とりあえず夕方前の時間にいつもの浜辺に行ってみたが、ヨーコの姿はどこにもない。まぁ当然か。
そこで趣向を変えて、あの小島の方に陸側から行ってみることにした。祖父に借りたボロボロの黒いママチャリを漕いで、浜辺の先にある半島の方へ10分ほど走る。半島を蛇行しながら登っていく山道には入らず、その入り口のところで自転車を停めて、海の方へ降りて行った。
去年の夏、僕らがいたあの小島の裏側が、ちょっと海を挟んで眼の前に見えている。僕らが一緒ににわか雨をやり過ごした崖も、2人で飛び込んだ根元の窪みもそこにある。でも、当然ながらヨーコの姿はそこにもない。
クラゲ対策も兼ねて、僕の服はラッシュガードと水着、そしてサンダルだ。ゴーグルだけ着けると、そのまま海に入って対岸の小島に向かって歩いて行った。さすがに真ん中ぐらいのところは足が届かないぐらいの水深があったので、カエルみたいに平泳ぎで進んだ。
ヨーコと一緒に泳いだ表側のルートに比べれば、そこはプールみたいなものだった。波も潮の流れもほとんど感じず、溺れる気も全然しない。
それでも、ヨーコに出会う前の僕なら、ここを渡ることだって躊躇しただろう。
小島に到着した僕は、あのすり鉢状の窪んだ岩礁に辿り着いた。
ちょっとした深さはあるけれど、海から切り出されたほんの少しの水たまりだと思えば何にも怖くない。
躊躇の出る幕はなく、その中にざぶんと飛び込んだ。
無数の泡に包まれた水中。また胎児みたいにくるまって、身体がぶつかるぎりぎりのところで浮力が働いて浮上していく。夏の日差しが、その海面から僕の眼いっぱいに飛び込んでいる。
今度は、右手は何も掴んでいない。
そこに、誰もいないから。
でも、「寂しい」とは思わない。
水面から顔を出して立ち泳ぎする内に、僕はもう一度ヨーコとここへ来たい――と思いかけて、いや、でもそんな必要はもうないか、と思い直した。
――「お前は何も知らない」
1年前にはさんざ悩まされたあの言葉だって、今はずっとポジティブなものに聞こえてくる。
それは『海』の渡り方を教えてもらえたからだ。
疑いなく信じられる“確信”が、僕にも少しずつ増えてきたからだ。
知らないことを知っていくことの意味がわかるようになってきたからだ。
僕にそれを教えてくれた太田陽子は今、関東の方で行われているという、全国の猛者たちが集まる選手権に出場中とのことだ。だから、ここにいないというわけ。
陽子は陽子で吹っ切れた。じゃあ、僕も淀んではいられない。すくんではいられない。
この太陽をもう少しだけ楽しんだら、僕の海へ泳ぎ出ることにしよう。
―了―
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