(6)わからない。それなら共に。


 どこまでも底と淵の見えない、莫大な濃緑色の海水の表層に浮かぶ、あぶくのようにちっぽけな自分をイメージする。

 僕の身体は浮かんでいるから、ただちに窒息することはない。


 一方、自分の身体の下の世界がどうなっているかはわからない。僕はほんの水深2メートルの浅瀬に漂っているのかも知れないが、実は数百メートルもの深い海域にいるのかも知れない。


 そこに往来する無数の生き物たちのことも、僕はほとんど知らない。大きさも、毒があるのかどうかも、ヒトを襲うのかどうかも。ひと繋がりの海だから、本来ここにはいないはずの生物が悠然と泳いでいることだってあり得る。


 潮の流れ。例えば離岸流だって、眼に見えるものじゃない。

 天気が荒れればビルよりも高い波、晴れていたとしても日焼けと水不足に殺されて、冬の海に放り出されたら、なんて想像するもおぞましい。



――いずれにしても、僕の意思なんかお構いなし。そんなものは何の力もない。僕の命を木っ端のように吹き飛ばす出来事が何だって起こり得る。

 海はそれほど大きい。大きすぎて、僕は一体何なのかさえわからなくなってしまうほどに。





「『僕には全くわからない』ということが、僕は怖いんだ」

 僕はヨーコにそう説明した。「そこに何が潜んでいるか、これから何が起こるのか。そういう、とても僕には負えないほどの膨大な『未知』というか『不確定要素』というか――僕にとって『海』って、そういうものの化け物みたいな場所に思えてしまって」

 だから、僕はヨーコがすごいと思ったんだ。

 どうして平然と、しかもたったひとりであの「海」の深みを泳いでいけるのか。


「それは、泳いだことがないからだよ」

 ヨーコの返事は素っ気ないぐらい簡単だった。「“わからないから泳ぐのが怖い”んだったら、泳いでみればいいよ。あたしが口で説明したって、わからないものはわからないし、実感のないことに納得はできないでしょ。そうしなきゃ、いつまでも君は海が怖いままだよ」

「ん、確かに……でも、僕は泳ぎが得意じゃないし」

「そのボードがあるじゃん。溺れようがない」

 ヨーコは僕が脇に抱えたボディボードを指差した。「一緒に泳いでみようよ。向こうの島まで」

「え、本気で言ってる?」

「うん。競争だからね。あたしもたまには張り合いが欲しかったし」

 両腕と肩回りの筋を伸ばしながら、少し楽しそうにヨーコは言った。



 ◆

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