(3)突堤にて。僕はいま。

 祖母の墓参りを終えた後、まだジリジリと茹だる気温のせいもあり、僕の足は自然と海の方へ向いた。

 さっきバスから降りた道の駅の方向へ歩く。その国道自体が少し小高い堤防の上に通っているので、海はそれを越えた先に広がっている。

 いったん国道に上がるため、都会じゃありえないほど急傾斜で段の高い階段を20段ほど上がり切った。


 そうすると、さっきバスの中から見たように、一面の海と空が目の前に広がった。

 遮る壁が何もない国道上では潮風が元気いっぱいに吹き荒れて、僕の髪を掻き回すように弄んだ。反対側の歩道の手すり越しに規則的な波の音が響いていて、そこへ空から落ちてくるトンビの鳴き声がいいアクセントをつけている。

 海に来たなぁ――という単純だけどそれで充分な感想を抱きしめて、車の往来のまばらな国道をそのまま横断し、堤防の切れ目から再び急な階段を下って砂浜へ降りた。


 海を正面に立つ僕から見て、遠く左右の端にそれぞれ少しせり出した半島があって、砂浜はその間に挟まれるような形になっている。その半島間の砂浜を5等分するように、沖に向かって5本の突堤が突き出ている。まるでマグロの背骨みたいに。それぞれの突堤間はゆっくり歩けば5分ぐらいの距離だろうか。僕が降りたのは、その内の右端から2番目にある突堤の傍だった。


 白浜に降りて、波打ち際まで歩いていく。豆粒ほど小さな白いカニが、流れ星のように颯爽と浜を駆けた。幼い頃は波打ち際でよくそいつらを追いかけた。今は、服と靴を濡らすわけにもいかない。

 突堤にのぼることにした。まっ白の大きな岩を、パズルのようにがちゃがちゃ組んだカマボコ状の突堤で、岩の隙間を踏み抜かないよう気をつけながら、先端の方へ少しずつ進んだ。日向ぼっこをしていた無数のフナ虫やアカテガニが慌てふためいて僕を避けていく。まるでモーセのような、あるいは街を荒らすゴジラのような気分。


 やがて僕は、突堤の一番先に辿り着く。

 ひと寄せ毎に空気をバクリと呑み込む白波のざわめきで、洗濯機の真上に立っているみたいだ。大きな波も小さな波も、押しくらまんじゅうのように突堤にその身をぶつけては砕け散る。その欠片のような飛沫たちが、サイダーの泡のように元気にはじけている。

 そこからもう一歩前に踏み出せば、海に落ちる――そのぎりぎりに、僕は佇んだ。


 自分の前は、ただ海だけが横たわっている。

 僕がいて、海があるだけ。

 こうして見ると、海は大きい。そして、深い。言葉の上では小学生のような感想しか出て来ないけれど、そう感じる僕の意識は随分変わったことに気づいてしまう。


 海って、こんなに大きいものだっただろうか?


 子どもの頃なら、大きなものを目の当たりにすることは、純粋に楽しくて、わくわくして、思わず笑みがこぼれるような体験のはずだった。

 けれど、あまりに途方もなく大きなものを前にした時、腰が引けるような、足がすくむような感覚を、今の僕は覚えている。

 この巨大すぎる存在に呑み込まれてしまったらどうなるのだろう? 

 自分の力では到底敵わない存在を前に、どうすればいいのだろう?



 少し怖くなった僕はもう少し陸側の方に視線を移した。

 視界の右手の方、せり出した半島からほんの少しつまみ出された場所に小島がある。

 ほんの10分もあれば歩いて1周できそうだ。住んでいる人はいないと聞くし、住めるほどのスペースと地形でないのは見ればわかる。


 その小島の根元、石と砂利だらけの波打ち際に、ひとりの女子が見えた。


 首元から胴体、足首のところまでがすっぽり隠れているけれど、チョッキみたいに両肩から先は小麦色の肌が見える変わった黒い競泳水着を着ている。キャップは被っていないが男にしては髪が長い。

 その子はゴーグルをつけて少し気合を入れるように両肩を回したかと思うと、海に入っていき、やがてクロールを始めた。泳ぎの練習かな、と思っていたら、小島の方に折り返すことなく、どんどん僕のいる砂浜の方に向かって真っすぐ泳いでくる。


 おいおい、と思った。

 あの島からこっちの浜まで数百メートルの距離があるように思える。足なんかとても着かない海原を真っすぐ泳いでやって来る。

 大丈夫なのだろうか。浮き輪もないのに、たったひとりで。

 心配にも思ったがそれよりも、僕が今、気圧されていたこの広い海を、まるであの子が切り裂いていくようにも見えた。


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