20 橋の上

 石橋の上に、そおっと片足を乗せる。

 馬車も通るような大きな橋だ、人一人の体重でどうにかなるわけもない。頭では分かっているのだが、生まれ育った環境のせいで、『橋』という存在自体を信用しきれないでいる。

「そんなに恐る恐る渡らなくても、この橋は壊れたりしないぞ」

 数歩先を行く有翼の友人は、故事になぞらえてそんなことを言ってくる。実際、彼らのすぐ横を荷馬車が通っても、石橋はびくともしない。

「分かってるんだけどさあ。下が『水』っていうのも、どうにも怖いんだよね」

 ミナギの暮らす《クラウディオシティ》は雲海に浮かぶ浮島の街だ。どこまでも広がる空、そして雲海を漂う大小の浮島。それが世界のすべてで、それを不思議に思ったことすらない。

 だから、こうして別の街区へやってくると、自身の常識が根底から覆される衝撃に、何度も襲われることとなる。

「水……川っていうんだっけ。すごいよなあ。しかも、こんなに大量の水が流れ着く先があるんだろ?」

「海のことか。そうだな、同じ『海』でも、雲海とはかなり違うもんな」

 そう、雲海と海は似て非なるものだ。雲海には魚もいないし、船も浮かばない。確かに存在するのに触れることは出来ず、足を滑らせれば一巻の終わり。それがミナギにとっての『海』だ。

「今度、連れて行ってやるよ。きっとびっくりするぜ。オレが雲海を見た時みたいにな」

 屈託なく笑う彼は港町出身だ。幼い頃は日がな一日、港から船を眺めていたらしい。

「びっくりしたのは俺の方だよ。オルトってば、いきなり雲海に入っていこうとするんだもんな」

 はじめて雲海を見た彼は、ひとしきり驚いた後、躊躇なく雲海へ片足を突っ込んだ。ミナギが慌ててその腕を引っ張らなければ、あっという間に雲海の下――『深淵』に沈んでいたことだろう。

「海っていうからには、ちゃんと浮くんだと思ったんだよ」

 ばつが悪そうに頭を掻くオルトは、あの時も同じことを言っていた。雲海に浮かぶことが出来るのは浮島だけ。船も、鳥も、もちろん人も、そこに浮かぶことは許されない。ただ沈むだけだ。

「何のために、俺が飛行機に乗ってると思ってるんだよ」

 橋も架けられず、船も使えない。そうなれば、島々を渡る手段はただ一つ。空を飛ぶことだ。翼を持つ友人にはそれもピンと来ないらしいが、シティに有翼人や魔法使いはいない。故に、人々は科学の力で空を飛ぶ。

「ミナギの飛行機、カッコイイよなあ。あれ、オレも乗れないかな」

 自身の力で空を飛べるというのに、飛行機に乗る意味は果たしてあるのだろうか。そう思わなくもないが、愛機を褒められるのは純粋に嬉しい。

「俺のは単座だから無理だな。今度、局長に掛け合って、複座の飛行機を借りられるか聞いてみるよ」

「やった! 頼むぜミナギ」

 弾むような足取りで石橋を渡るオルトのあとを、おっかなびっくりついて行く。下を流れる『水』のことは、とりあえず考えないことにしよう。

「海に連れてってくれるのは嬉しいけど、俺ってばきっと、怖くて入れないと思う」

「大丈夫だって。危なくなったら、今度はオレが引っ張ってやるから」

 何せ、お前には借りがあるからな、と嘯いてみせるオルトだが、そんなものがなくても、困っている者を見かけたら手を伸ばさずにいられないのが、彼の性分だ。

「頼むわー」

 こうなったら、約束の日が来るまで、少しでも水に慣れておくとしよう。

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