12 並行

 未来からやってきたと、話す少女は、なんと僕の娘なのだという。

 何の冗談かと思ったが、どうやら嘘ではないらしい。

「金藤翔太。1970年8月17日生まれ。O型。三つ年下の妹は佳子。大学卒業後に上京、東京の会社に就職。今はえーっと、社会人三年目? あれ、じゃあお父さん、まだ二十代なんだ。うわー、だからまだそんなに髪の毛あるんだね。なんか新鮮」

「お父さんは止めてくれ……あと、その情報は知りたくなかった……」

 次から次へと繰り出される正確無比な「他己紹介」に打ちのめされつつ、改めて彼女を観察する。

 セーラー服を着ているから、おそらくは中学生。肩で切り揃えられたまっすぐな黒髪は、僕の髪質とは異なっている。目元は母に似ているかもしれない。そして口元は、そのにんまりとした笑い方まで、祖父そっくりだ。

「……で? 君が僕の娘だとして、なんでまた半透明な状態で過去へ飛んできたんだ?」

 そう、彼女は明らかに透けていた。実体がないのだ。今も窓際に腰掛けているような態をとっているが、座っている感覚は乏しいらしい。

「さあ? よく分かんない。気づいたらここにいたんだもん」

 どうやら、自らタイムマシンに乗り込んだとか、時空の裂け目に吸い込まれたとか、小説や映画に出てくるような『劇的なタイムトラベル』ではないようだ。

「来た方法が分からないとなると、戻る方法も分からないわけだな」

「そうなるね」

「なんでそんなに冷静なんだ!」

「なんでだろう、実感が沸かないから? だってほら、なんか透けてるし? お腹も空かないし、喉も渇かないし。夢の中にいるみたいな感じなんだけど、これって私の夢かな?」

「僕も、これが夢ならどんなに良いかと思うよ」

 目が覚めたら部屋に半透明な女の子が現れて、事もあろうに「お父さん」と言い出すなど、悪夢以外の何物でもないではないか。

「まあ、セオリー通りなら、過去を変えるためとか、そういう目的があるんじゃない? で、それが達成できたら戻れるとか、そんな感じだといいなあ」

 いかんせん緊張感のない少女の言葉に、やれやれと頭を掻く。僕の娘だというのに、その手の本や映画を見ていないのだろうか。

「いいか? タイムトラベルものにはいくつか種類があるんだ。大きく分けて、「過去を変えたら未来が変わる」ものと「過去を変えても未来は変わらない」もの。この中でも細かく分かれるんだが、僕は「過去を変えても未来は変わらない」説を推してる。過去を変えようとして未来から過去にやってきても、そこから別の未来が派生する……つまり、並行世界が増えていくだけ、という説だ」

 過去が変わった時点で、未来からやって来た人物の定義が崩れて存在が危うくなるはずだ。過去を変えに来た事実自体がなかったことになったら、過去は変わらないことになる。これがタイムパラドックス、というやつだ。

「あー、なんかそれ、SF映画を見てた時にお父さんが力説してた気がする……でもごめん、よくわかんない。私、理系じゃないんだよねー」

 おい、それでも僕の娘か! と言いたくなったが、止めておこう。親の性質や嗜好が必ずしも子供に受け継がれるわけではないのだから。

「つまり、いくら君が僕のこの先を変えようとして、たとえそれが成功したとしても、君が戻った先の未来では、何一つ変わっていないかもしれない、ということだよ。もっというなら、そもそも君が見ている僕も、僕が見ている君も、お互いに並行世界の存在なのかもしれない」

 タイムトラベルをした時点で並行世界が生まれると仮説を立てるならば、僕と彼女の世界はそもそも異なっている。

「えー、でもさ。もしお父さんが、『私のお父さん』と同一人物じゃないにしても、だよ。私がこれから言うことで、もしお父さんの未来がちょっとでも良い方向に変わるなら、それはそれで良いことじゃない?」

「良い方向に変わるなら、な。悪い方向に変わる可能性もあるじゃないか」

 タイムトラベルは、いくらでも悪用できる。だからこそフィクションの世界でも、時間遡行は慎重に扱われるのが常だ。タイムパトロールに捕まりたくないのなら、余計なことはしない方が良い。

「ところでお父さん、今日はデートの日なんじゃないの?」

 唐突に問われて、はっと時計を見た。まずい、もう出ないと間に合わない時間だ。

「なんでそれを!」

「カレンダーにおっきな丸つけてれば何となく分かるって。――ああ、そうか。えっとね。多分私は、これを言いに来たんだと思うな。あのね、ちゃんと手を繋いで。絶対に離さないで」

 約束だよ? と微笑んで、彼女の姿が光に溶ける。

「え、おい、ちょっと君――」

「健闘を祈る!」

 そんな声を残して、未来から来た僕の娘は、来た時と同じように唐突にいなくなった。



「……そうそう、初デートの時、人混みで離ればなれになりかけてね。でもお父さんが手を握ってくれて、それで迷子にならずに済んだのよね」

「そうだったか? 忘れたよ」

 照れくさそうな横顔は、忘れてない証拠だ。今でもしょっちゅう迷子になりかける母の手を、父がぎゅっと握って引き戻す。そのたびに、私はこっそりと笑みを零す。

(ちゃんと、過去は変わるじゃん)

 人混みで離ればなれになってしまい、散々だった初デート、という過去は、どうやら改変されたみたいで。そこから連綿と続く道程も、私が覚えているものとはちょっとずつ異なっている。

 謎のタイムトラベルから早一週間。改変された過去をさりげなく確認してみたけれど、大筋はやはり変わっていないけれど、概ね良い方向に進んでいったようだ。

「さて、そろそろ洗濯物が終わったかしらね」

 腕まくりをして洗面室へ向かった母を追いかけようとして、席を立ったその時。

「約束、ちゃんと守ったからな」

 不意にそんな声がして、はっと振り返る。

 空のコーヒーカップを手にキッチンへ向かう父の横顔が、あの時の姿と重なって見えた。

「ねえ、お父さん!」

 思わず声を張り上げれば、なんだよ、と訝しげに振り返る。今度は「お父さんは止めてくれ」とは言われなかった。

「えっと、あの……タイムパラドックスって、何なのかな?」

 なにを言おうか迷って、結局口から出たのはそんな言葉だった。

「あれから色々考えたんだが、やはりよく分からんよ。お前だって、なんでタイムスリップしたのかよく分からないんだろう?」

 正直、あれは夢だったんじゃないかなと、今でも思う。でも、二人して同じ夢を見るなんてあり得ないし、母の話を聞く限り、少しだけど確実に過去は変わっている。

「まあ、なんだ。どんなに過去を変えようとしても時間の修正力が働いてなかったことになるんだとか、そもそもタイムトラベル自体が予定されていた出来事だったから、変わることすら仕組まれた出来事なんだとか、色々と仮説は立てられるんだが」

 ああ、またややこしいことを言い出した。心の声が顔に出ていたのか、父はごほんと咳払いをして、簡潔に続けた。

「つまり、細かいことを考えても仕方がないってことだ。ほら、よく言うだろう。『終わりよければすべてよし』って」

 私にとっては一晩の夢、でも父にとっては二十年以上の月日が経過しているのだから、その間じっくりと考えた末の結論がこれなのだろう。

「まー、そうだね。よく分からないことは、考えてもしょうがないか」

 初デートのささいな出来事が尾を引いて、結婚後も事あるごとに痴話喧嘩を繰り返し、あわや離婚寸前になっていた夫婦と、二人の板挟みになって苦しんでいた娘が、ちょっとでも幸せな未来へ進むことが出来たのだから、まさに終わり良ければすべてよし、なのだ。

「お父さん。明日、久しぶりに映画でも見に行こうか」

「お、いいな。ちょうど見たかったSF大作が――」

「SFはもういいってば」

 小難しい理屈や理論は、もうお腹いっぱいだ。

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