六日目7
転がり込むように中央広場へと入った俺に浴びせられたのは、いつも以上にどす黒いモノが籠った視線だった。いつもより棘が籠った――いや、棘というよりもナイフに近い視線の真ん中を、俺は渡る。
アルベルトの手の治療を施す彼の奥さん。民と会話をするダニエラ。噴水のそばで毛布にくるまったローガンたちと、立ちすくんだテオ少年。パッと見るだけでも、百数人程度しか人がいない。ひどく怯えた表情をするものもいれば、その手に持つナイフだったり松明だったり鍬だったりを振り上げようとする者もいる。
民の一人が鍬を手に奇声を発しながら襲い掛かってきた。それを機に、静かに睨んでいた奴らも動き出す。が、しかし、俺が剣を抜くと、その動きは止まってしまう。
彼らは体をこわばらせ、明らかに警戒の意を示した。それを確認し、俺は剣を振り上げた。
カーンと、甲高い音。
俺が足元に剣を投げ捨てたのだ。
キョトンとした様子の人々に、俺は膝をついた。腰を折って、頭を床に擦りつける。
「……本当に、申し訳ありませんでした」
重苦しい静寂を切り裂くように俺は続ける。
「今までのことを赦してほしいとは言いません。ですが、お願いします。俺の言うことを信じてください」
静寂は続いた。彼らがどんな顔をしているのかは見えない。しかし、なにを言ってるんだ、そんな戸惑いが込められているような気がした。
「……馬鹿馬鹿しい」
やがて、声が聞こえてきた。それはアルベルトの低く沈んだ声だった。
背になにか当たった。それは石のように硬く、重たいなにかだった。
「貴様を信じろだと? ふざけるな! 貴様のせいでいったいどれほどの民が犠牲になったと思っている!? 街の者は、ほとんどが貴様のせいで死んだんだぞ!」
静寂に反響して響いた声は、民の足を動かす原動力になったようだった。同意の大合唱がこだまする。そうよ! と中でも大きく響いたのは、ダニエラの声だった。
「ディエ様から聞いたけど、どうやら民が狂ったのはパンが食べられなかったからだそうじゃない。そのパンを盗んだのは? アンタさえいなけりゃ、こうはならなかったかもしれないのよっ!」
割れた金切り声でダニエラ叫んだ。続く同意の声に、足音が近づいてくる。
やっぱり、俺じゃムリか。
わかりきっていたけど、微かな希望を感じていたのだ。だが、やっぱりムリだったってことだ。最悪、俺が殺されたとしても、レティーシアが説得してくれるだろう。俺よりは説得力がある。それならば、せめてしぶとく生き残って、時間だけでも稼ごうか。
頭上で風を感じ俺は転がる。鼻先に感じる風と、小さな欠片が当たった感覚。見えたそれは鍬だった。剣を拾って立ち上がり、逃げようとする俺が聞いたのは、高くも低い独特の声だった。
「ちがうんだ!」
小さい体をくねらせて人込みから出て、転がりながら俺の前に立った者がいた。震えた小さな背中で、俺を庇うように仁王立つ。それは、酷く痩せたテオ少年だった。
「こら、危ないわよ! その人はあなたをそんな目に合わせた人なのよ」
「だから、ちがうんだって!」
裏声で優しく語りかけるダニエラを、テオ少年は強く否定した。そして、言いにくそうに目を伏せ、勢いよく頭を下ろした。
「……ごめんなさい。パンを取ったのはぼくなんだよ。このえいゆうサンはなにもしてない。ぼくをかばってくれたんだよ。ぜんぶ、ぼくがやったんだよ……!」
「おい、テオ!」
しゅんとした様子のテオの肩を掴もうとしたが、その手が掴んだのは虚空だった。テオの姿は、ダニエラの腕の中にあったのだ。
ダニエラは抜け出そうともがくテオの頭をいたわるようにして撫で、同情的な目を彼に向けた。
「かわいそうに……洗脳までされてしまったのね。こんなこと口走って……」
「だからっ、そうじゃなくて、」
「お願い、誰か、この子を看病してあげて」
不都合なものは見えないところに隠す。そのまま、テオ少年は別の男に連れられてしまう。
やはり、なによりも血は貴いのだ。だから、その血を守ろうと躍起になっている。俺さえ悪人になればいいのだろう。徹底した異端排除思想だ。そう思った途端だった。
「ホント、あきれるくらいイタンがキライなんだね!」
小生意気で、人を見下したような声。
見ると、男の腕を振りほどいて噴水に上るテオの姿があった。
「えいゆうサンのゆーとおりだ。血はなによりもとうといってホントだったんだね。おかげで、ぼくはわるものにはならない。もちろんアンタらもだよ。そりゃあ、生きやすいセカイだよね。えいゆうサンをたたいてたら、自分はまもられるんだからさ!」
「黙れテオ!」
そんなことしたら、いよいよテオも叩かれることになる。
だが、彼はそんなことに憶する様子もない。僅かな怯えと恐れがあったが、その年が持つには立派な覚悟があった。大人に挑もうという意思があった。そして、民に指を突き立てる。
「えいゆうサンは災いをもたらすって言うけどさ。じゃああんたたちはぼくになにしてくれたのさ。とーちゃんが足やったとき、じーちゃんが連れてかれたとき、もう食べるものがなかったとき、なにしてくれたのさ!」
途端静まり返る民に、テオははんと鼻で笑った。その目に暗い炎を湛えて、けれども負けじと背を曲げることなく。
「ほら、なにも言えない。そりゃそうだよ。みんな、かわいそうにとしか言わないんだから。なのになんでそんなのにえらそうにしてるワケ? ぼくやとーちゃんのためにパンを持ってきてくれたえいゆうサンに、なんでそんなに冷たいのさ。伝承とかこの街の人じゃないからとかさ、そんなんで仲良くしたりイジメたりしてさ。
……ぼくからしたら、アンタらの方がよっぽどアクマだよ!」
「……テオ」
言ってやった、とテオは満足げな顔で俺を見た。この後なにが待っているのか。そんなことに恐怖する様子なんてない。恐れは吹っ切れたようで、歯を見せて笑んだ。
民は震えていた。それは怒りに震えているようにも思えるし、なにも言い返すことができない無力さに震えているようだった。それほどまでに、テオの言葉は正論として民の心に刺さったのだろう。
「あら、そうだったのね……」
口を開いたのはダニエラだった。隣に立つ人から松明を受け取り、子ども相手の優しい口調で歩み寄る。
「私に頼ってくれれば、パンなんていくらでもあげたのに……本当よ? こんなにあなたも異端に染まることもなかったのに……!」
急に大股になったダニエラは、その手に持つ松明を振り上げた。その先が捉えるのはテオ。確実に異端排除思想の中に、彼は含まれてしまったようだ。
俺は腰を上げ、前のめりになってテオの下へ向かう。が、その足は誰かによって掬われた。派手に転んだ俺が見たのは、噴水から飛び降りるテオと、松明を振り下ろさんとするダニエラの姿――が、吹き飛んだ。
目を凝らすと、床に伏したダニエラの姿があった。松明は噴水につかり、炎を失っている。テオを守るように立っていたのは、細く弱々しい詩人めいた男、ローガンだった。
「……もうそんな白々しい嘘つくのはやめろよ!」
そう怒鳴った彼の顔には、あの詩人めいた穏やかな表情はない。ローラを守るのに必死で俺を殺そうとした時に見たものと同じだ。それが、彼の意思の現れだったんだろう。
「貴様……血迷ったのか!」
困惑と怒りに震えるアルベルト、ローガンに掴みかかった。そして、ものすごい剣幕で唾を撒き散らせながら、彼はローガンを平手打った。
パシンと、聞くだけで頬が痛くなるような音が響いた。顔を顰めたローガンと、固く目を閉じたテオの姿が目に映る。アルベルトに殴りかかろうと立ち上がった俺を牽制したのは、後頭部を打ち抜いた拳だった。羽交い絞めにされ、身動きが取れない鼻先では、メラメラと赤く暗い炎が揺らめいていた。その炎が、一瞬視界から消えたその時だった。
「ここに聖剣があったら、どうなってただろうなぁ!」
松明の軌道が消えた。頭上で燃えてはいたが、頭に降りかかってくることはない。辺りを見回すと、全員の視線がローガンに向いている。痛々しく腫れた顔でアルベルトに――いや、この場にいる全員に牙を剥くローガンを、皆がじっと見つめていた。
「本当に、この子の言うとおりだよ。ローラが狂ったって聞いたとき、お前ら自分の顔を覚えてるか?」
民は目を逸らした。ダニエラは「なに言ってるの?」と、とぼけたように首をかしげる。まるで、事実の一切を隠蔽するように。
ローガンは心のうちにある憎しみのすべてを吐き出すように、怨嗟の声に変えた。
「しかめてただろうがよ……っ! 穢れてしまったって、近づけないでってよ……っ! 負傷した俺を介抱してくれることもない、それどころかお前も穢れたんじゃねぇかって疑いの目を向ける。それがないとわかったら、次は犯人捜しで悪魔討ちだ。
きっと、今ここに聖剣があったら、黒ずんでると思うよ。覚えてるだろ? 俺らが好き放題言った、あの時みたいにさ!」
言い終わったと同時に、アルベルトの拳がローガンの頬に入った。ごきりと嫌な音。ふらり倒れかけた彼は足を踏ん張り、噴水の縁にもたれかかった。
願わくば、この体を束縛する手を、足を、全てを振りほどいて、すぐにでもローガンとテオの下に行ってやりたかった。そして、コイツらは俺が洗脳したのだと、コイツらの意思によるものじゃないと、この狂信者たちに言ってやりたかった。
アルベルトは、ローガンや少しでも彼になびいた者を威圧するように拳を鳴らせた。その様に、ローガンは鼻血を拭って、小馬鹿にするようにはっと笑った。
「……ほら、その態度だ。そうやって圧倒して仲間を増やす。どっちが洗脳してんのか、いよいよわかんねぇな」
「貴様……っ!」
そう言って、アルベルトが大きく振りかぶった時だった。
「止めなさい!」
響き渡った柔らかくも芯の尖ったハープのような声に、人々は静まり返った。
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