五日目6
声が出せるようになったのは、すっかり元通りとなった神さんを確認してからだった。
「まるで奇蹟だ……」
一瞬にして傷が治ってしまった。その様子は、さながら奇蹟か魔法だ。
ヒュウガ自身も、驚愕したように固まっていた。食い入るように傷跡すら残っていない神さんの腹を見ている。
「奇蹟など……らしくもない……」
掠れた声で答えながら、神さんは指を弾いた。ぼんっと音を立て、祈りの間の炎がつく。まだ弱々しい炎であるのは、神さんがまだ本調子でないためだろう。それでも、祈りの間を照らし出すには十分だった。
「神さん……」
「そんな声を出すな……さっきから、ずいぶんお前らしくないな。そんなに私が心配だったのか?」
微かに意地悪く笑んだその顔には、うっすら血の気が戻っているような気がした。
「当たり前だろ。お前に死なれたら困るのは俺なんだよ、金髪野郎」
「言葉には気を配ったほうがよいぞ?」
神さんが微笑むと、俺のすぐそばの燭台の炎が爆発した。頬を炎がかすめる。その熱量に、痛みと同時に安心感を覚える俺がいた。
……これでいつもの神さんだ。
ほっと息をついていると、神さんはヒュウガに居直った。
「ヒュウガ、お前の知識がなければ、私はこの世界を誰かに任せる前に消えていたことだろう」
神は死の危機を感じてから、一日は生き延びることができるという。その一日のうちに、自分とつながる世界のへその緒を別の神に託すためだ。
ヒュウガは神さんの真摯な目にか、目を丸くした。さらに、ヒュウガを驚かせたのは、神さんが深々と頭を下げたことだった。
「礼を言う。ありがとう、ヒュウガ」
ヒュウガは居心地悪そうに視線を逸らした。だがその耳は炎によるものか、照れたように赤く染まっていた。俺はその背を叩く。彼がいなければ、神さんは助かっていなかったのだ。恐らくは、この世界に生きる者たちも。
ヒュウガこそが、英雄であった。
俺はただ、なにもできず見ていただけだ。
そういえば、とヒュウガが問うた。
「いったい何が起こったんだ? まるでぶち抜かれたような傷であったが……」
「あぁ、ぶち抜かれたのだ」
「まさか……銃か」
「ジュウ!?」
話の腰を折るつもりはなかったが、俺は叫んでいた。二人がこちらを見る。うるさい邪魔だと言わんばかりの顔だが、こっちだって構っている場合ではないのだ。
「だって、ジュウってあの神さんが持ってた鉄筒だろ? 手のひらサイズじゃねぇか。そんなんで、神さんをこんな……できるのか?」
俺の知っている限りでは、あれほどまでの負傷痕を残す武器は、皆巨大だったはずだ。だが、彼らの語るジュウとは、記憶にある限りでは片手で握れるほど。到底神さんを半殺しにできるほどの威力があるようには思えない。
考え込むように黙ったままの神さんに、リュークは目を伏せた。
「……お前が知る限りでは、そうなるだろう。だが、こちらの世界は違う。この神に悟られぬよう、この傷を残すことも、難しくはないのだ」
「神さんに悟られぬようにって……」
今言うべきことではないかもしれないが、俺は神さんの背後を取ったことがない。どう頑張っても気づかれるからだ。そんな神さんに悟られぬようにぶち抜いたとは……。
ヒュウガは天窓付近を指差した。骨組みだけの吹き抜けの空に、屋敷の姿が見える。
「どうした?」
「あの柱を見ろ」
言われた通り、目を凝らす。そこには……別に、特に気になるようなものはない。
なにを言っているんだ。首をかしげると、ヒュウガはため息をついた。
「……あそこだ、あそこ。変に窪み、ひび割れているだろう?」
「あぁ、ホントだ」
言われてみると、確かに。そこには窪みのようなものがあった。窪みというか、削れたような跡、というべきか。僅かにひび割れも見える。……だが、これがどうしたというのだろう。
リュークは口を閉じて視線を逸らした。ためらうような沈黙の後、彼は言いにくそうに答えた。
「……スナイパーライフル、という武器がある。こちらの世界では、敵に気づかれぬよう相手を殺すためのものとして、戦争に利用されてきた」
「気づかれぬよう?」
「というのも、スナイパーライフルは遠距離にいる敵を打ち抜くために生み出されたものなのだ。弾次第では、威力も大きく異なる。その風圧でさえ、人を殺してしまえるほどに」
「……えらく詳しいんだな」
「まぁ、だてに元の世界で戦場を切り抜いてきてはいないからな」
嘘くさい。そう思ったが、口にするのはやめておいた。
それにしても、そんな恐ろしい武器があちらの世界にはあるのか。一瞬で神さんの肩を吹き飛ばすような武器が。戦争なんて起こらない世界だと思っていたから衝撃だ。
スナイパーライフルの姿を想像していると、震えたヒュウガの声が聞こえてきた。
「問題は、神を打ち抜いたスナイパーが、敵にいるということだ」
言われて、その恐ろしい事実に気づいた。
風圧で人を殺せる。あの天窓の窪みは、その風圧によるものなのだろう。そしてその天窓に映るのは、ギルドラートの住まう屋敷。
――俺たちはこの街付近にいる限り、いつ処刑されてもおかしくないのか。
「マジかよ……っ!」
そのあまりの恐ろしさに、背筋は泡立った。もう、どこも安全ではないのだ。この神殿だってそうだ。あの屋敷が見える限り、俺たちの命は奴らの手の中にあるも同然。この、なんの不浄もないと信じていたこの神殿にも、今ではヴェルジュリアの手の中だ。
まったく信じられない。そう言いきれたら楽だったかもしれない。だが、現に神さんは死にかけたのだ。
神さんをちらりと見る。神さんは神さんで、考え込むように黙り込んだままだ。
「おい、神さん! ……どうすんだよ」
神さんの肩を揺する。そこで、神さんはやっと俺たちの方に目をよこした。一瞥し、また視線を戻す。そして、考え込むように黙り込む。
――キリがない。
俺が神さんを殴ろうとする。その寸前だった。
「……少し、出かけてくる」
ふらりと神さんは、俺らなど目もくれず、神殿の外へと向かい始めた。なにか思い立ったような仕草に一抹の不安を覚えたのは、俺だけではあるまい。
「おい神!」
「どこ行くんだよ!」
肩を掴み、こちらへ振り向かせる。
その、口元に浮かべた、不気味な笑みよ。
あまりの凄みに、俺たちは一歩後ずさった。神さんは、不敵に、それでいて少し寂しそうな笑みを浮かべた。
「なに、死にに行くわけではない。私だって、自らの力の衰えを理解しているわ。無理などしまい、頼まれてもしまいわ」
空笑い、だろうか。乾いた笑い声を残し、神さんは消えた。
「……あの神は、大丈夫なのか?」
ヒュウガが心配げに呟く。どうだろうな、と俺は答えた。
「アイツは痛いことはしない。いつでも偉そうなのさ。……たぶん、引き際は理解してると思うぜ」
彼の性格からして、無理はしないだろう。神はいつだって偉そうだ。良くも悪くも、なのだが。
「引き際は理解していると思う、か……だが、奴らは違う。わかっているだろう?」
あぁ、と俺は頷いた。
「別世界の技術、だろ?」
俺たちが戦うのは、悪魔だけではない。
はるか別の世界の技術力とも、戦わなければならないのだ。
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