五日目4
小さな炎を掲げて、化け物と化した民の道を戻る。遠くに赤い光が水平線のように広がっている。あちらでも、また別の誰かが無差別に人を襲っているのだろう。
生まれる場所を、生まれる時代を、生まれる世界を間違えたのかもしれないな。
いや、きっといつでもどこでも、俺の存在が人を不快にさせるに違いない。
俺は、生まれるべきではなかったんだ。
道脇の踏み荒らされた畑。そこには血だまりと、焦げた腕が伸びていた。なまめかしく、あのケルズの花が咲いている。
――我々は君を軽蔑したりはしない。嘲ったり、罵ったりもしない。いつでも、待っていますよ。
どこからともなく聞こえてきた声に、俺は遠くで起こった炎を見つめた。
辿り着いた我が家は、かろうじて燃え移らずに済んだようだった。少し壁が焦げているような気がするが、気のせいだろう。視界の端に映った不完全燃焼死体に目を背け、さっさと中に入るようヒュウガを促した。
「ちょっと待ってろ」
ヒュウガを残し、木桶に水を汲んでまた戻る。
薄暗い部屋の中、ヒュウガは傷が気になるのか、触れては顔を顰めていた。まだ痛むのだろう。俺は火を起こし、彼に問う。
「なんか綺麗な布、持ってるか?」
「ハンカチならあるが……」
ヒュウガはそう言って、見慣れぬ黒衣の横ポケットから黒のハンカチを取り出した。やわらかく、肌触りがいい。高級なものであることはすぐに分かったが、これを惜しんでいれば治療にならない。俺は水に浸し、ヒュウガに血の汚れを拭くように言った。
「怒られませんように……」
ヒュウガは目を瞑って祈るように手を組む。その言葉を俺は聞かなかったことにした。
その間に俺はまた外へ出た。近くに咲いたシオンの葉を三枚ほどちぎる。この葉が薬の効能を高めるということをディエさんに教えてもらっていてよかった。ここにはいないディエさんに感謝を述べ、俺はまた家に戻る。そのころには、桶の水はすっかり赤茶に染まっていた。
「傷、見せてみろ」
傷は眼の下から耳間際まで、横一文字に浅く刻まれていた。あと少しずれていたら、耳や鼻に傷を残しただろう。もしくは、もっと傷が深くなっていたかもしれない。
「この程度の傷なら……薬がありゃあ治るだろ」
確認を終え、俺はポケットから真っ白の包帯と軟膏を取り出した。
ヒュウガはそれを見、目を丸くした。
「お前っ、まさか盗んだのか……!」
「なんだよ人聞きの悪い。ちゃんと金払ってただろうが」
包帯と軟膏。薬というものをあまり使わないからわからないが、ふたつでざっと銀貨と銅貨一枚ずつくらいだろう。これで盗まれただのなんだの騒ぐなら、それは勘違いしたオルガンのお門違い。俺は悪くないはずだ。
「……お前、いつか災厄に殺されそうだな」
呆れ交じりにため息をついたヒュウガに、俺は苦笑した。
軟膏を塗りこみ、シオンの葉を引いた包帯で頬に当てる。少し不格好だが、別に誰に見せるでもないわけだから大丈夫だろう。
ほうーっと、重たく長い息が零れる。久々の肉体の酷使に、体が音を上げていた。
今日一日で、いろんな目に遭った。今のこの俺の感情は、この世界に来たばかりのヒュウガと同じ感情なのだろう。
素直に、恐ろしい。
正常な者も術にかかった者も、例外なく俺を襲ってくるのだ。そんな状況では、見知った顔に会うのも恐ろしかった。……シエラの一瞬見せたあの悲痛な顔が、苦しかった。
どうすればいいのか。革命を仕切る者だというのに、皆目見当がつかなかった。
「消えかけだが、いいのか?」
ヒュウガに言われて気づいた。ランプの炎が弱っている。少しのはずみで消えてしまいそうだ。イブリア火花を手に取り、火を起こす。
「……火を起こす気があるのか?」
いつもなら小爆発するはずなのに、今日はそれがない。小さな火花が散って、それだけだった。
冷たい目でヒュウガに言われ、意気込んで花弁を擦る。だが、同じく火の粉が飛ぶだけだ。
厭な予感がした。
神は世界。世界の異変は神の異変。
「まさか、神さん……!」
神殿の祭壇に伏す神さんを想像し、悪寒が背筋に走った。
なんとか気合いで炎を灯し、俺はヒュウガを連れて飛び出した。消えかけの炎は、頼りなく道を照らした。
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