五日目3
――ギルドラートはなにを企んでいる?
あの狂いっぷりは、あの野獣のような目は。人々がセグレタとなり果てたのも、ギルドラートの術のせいであるには違いない。
では、いつ? どうやってギルドラートは人々に術をかけたのか?
そもそも、ギルドラートの術とは一体――。
俺は首を振った。考えても仕方ない。奴は悪魔だ。悪魔の術に、からくりなど存在しているわけもあるまい。そうに決まっている。自分に言い聞かせて、足を進める。炎が俺たちの影を揺らせた。
炎のおかげか、単に運がよかったからか、俺たち三人無事に中央広場へ戻ってくることができた。
中央広場の崩れかけの巨像の前には、人だかりができていた。皆、怯えたような、なにかを恨むような表情をしている。その中には、シエラやレティーシアの姿もあった。
まさか、ここも被害を受けていたのか……?
目の前でローガンがふらついた。今はそんなことを考えている場合ではない。
「オルガン! オルガンはいるか!」
ローガンを支えてやりながら、俺は人だかりに声を張り上げる。その声に反応して、皆勢いよくこちらを向いた。
途端、空気が変わった。ピリピリと肌を刺すような緊迫感が走る。
その空気を裂くように、か細い声が聞こえてきた。
人々が道を開けた。人だかりの中心にいたらしいオルガンはふらりと立ち上がり、手を上げた。
「僕はここです」
力なくそう答えたオルガンのそばで眠る者たちに、俺の目は釘付けになった。
皆、血だらけで火傷だらけなのである。さらに、死を見たかのように、その顔を怯えと恐怖に歪めているのである。
その中に、見知った顔があった。巨像のそばに腰かける、火傷だらけの右腕に巻かれた包帯を血だらけにしたアルベルト。そして、ひきつった青い顔で眠っている、ゼクス農家の子、テオ少年だ。
「テオ……」
「テオっていうのね、この子」
そう言ったのはシエラだった。悲しみ嘆く聖母のような顔を向ける先はテオ。
「ずいぶん錯乱していたようよ……悪魔がくるって。水とパンを上げたら落ち着いたわ……一応は」
「悪魔って……いったいどうしたんだ――」
「どうしたですって?」
目を吊り上げたダニエラは、どすの効いた声を上げた。
「やられたのよ。悪魔だとか叫んでおかしくなった人たちに! 皆ね!」
ヒステリックに叫んだダニエラに続いて民も声を荒げた。仇を見るような、憎しみや恨みの炎の燃える視線が俺を取り囲む。その姿は、獰猛な獣のように見えた。理性の失せた、殺意のみを動悸に生きる獣だ。
彼らの責め立てるような口調。それだけで、彼らがなにを伝えようとしているのか合点がいった。
それを隠すことなく率直に言ったのは、ダニエラだった。
「分かってるのよ。どうせ、アンタのせいなんでしょ」
違う、それはギルドラートの術のせいだ。
そう説明する前に、叫んだのはシエラだった。
「ダニエラさん!!」
車椅子を引きずらせて、シエラはダニエラに近づいた。
あぁ! とダニエラは空を仰ぎ、シエラの手を取った。そして、芝居がかった挙動で言う。
「シエラ様はなぜそうまでしてこの男を守ろうとするのです? 思い返してもみてくださいな。あなたの足を奪ったのは誰か、まさかお忘れではないでしょう?」
俺は息を詰めた。シエラも同様に、であった。その様子を見、しめしめとばかりにダニエラは唇を舐めた。
なんの反応も反論もできない俺を、ダニエラは嘲るようにはっと笑った。
「悪魔がシエラ様のもとに転がり込んで、私たちを焼き殺そうとして、シエラ様の足まで奪って! その果てに盗みを働くような男よ。まさか、こうまでして私たちを苦しめるなんてね」
罵倒が沸き起こる。俺はなにも言えなかった。どうせ言っても無駄だ。言ってどうにかなるなら、俺は悪魔にならずに済んだかもしれないのに。
――蘇った古い記憶。炎炎炎。そうだ、燃やした。俺が燃やしたんだ。悪魔の、ギルドラートの囁きに応じて。
「違う。民の暴動はギルドラートの――」
「黙ってろ、ヒュウガ」
一歩前に出たヒュウガを止める。今行っても奴らの標的となるだけだと視線で示すと、彼は不服げな目でこちらを見た。ヒュウガまで、俺のような目に遭わすわけにはいかないのだ。
「オルガン、綺麗な包帯、余ってるか?」
「え、あぁ、はい。まぁ、あることにはありますが……」
はっきりとしない返事をしたオルガンは、ダニエラたちの顔色を窺うようにきょろきょろと視線を動かした。無理もないだろう。アイツはいつだって八方美人なのだ。俺はローガンを支えながら、オルガンの下へ歩いた。視線や罵詈雑言など気にも留めないといった様子を見せて。
その肩を、ダニエラが掴んだ。
「なにする気だい? アンタに分け与える医療キットなんてないよ」
「俺じゃねぇよ。なんだ、お前らは大切な仲間に苦しんどけって言ってんのか?」
そこで、ダニエラは初めてローガンの存在に気づいたようだ。その傷についても。
はぁ、と皆は息を呑み、また睨みを返す。どうせアンタが……とかなんとか言うに決まってる。相手をするのもバカらしい。俺はすっと彼女のそばを通り過ぎ、ローガンの体を巨像に預けた。
オルガンはローガンを見るなり、口元に手を押さえた。
「ローガンさん……いったい何が……!」
「片目をやったらしい。たぶんかなり傷は深い。詳しくは本人に訊いてくれ」
手短に要点を述べると、彼は鞄を広げ、瓶二本と包帯を取り出した。ローガンの頭の包帯をほどいていくその手は火傷で痛々しい。彼も襲われた者の一人なのだろうか。そんなことを考えながら、俺はバティア銀貨と銅貨を一枚ずつ取り出した。彼のそばに置くと、ローガンは思いがけないとでもいうように眉を上げた。その間抜けな面に俺は愉快感を覚えながら、すました顔で答えてやった。
「別に、お前のためじゃないさ」
立ち上がり、ローガンに背を向ける。包帯がすっかり取り払われてあらわになる、血で真っ赤な目。その顔を悔し気げに、屈辱だとでも言いたげに歪めたのを見逃さなかった。それが愉快で、俺は口の端を上げた。
「リューク! ……どこ行くの?」
背後から聞こえてきたのは、ハープのように澄んだ声だった。
顔を合わせることなく、俺は手を振った。
「嫌われもんはおとなしくお山に帰るんだよ」
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