三日目5

 神殿の周りの花々の半分以上がその輝きを失いかけていた。神さんが大切に育てているソリアもまた、そうであった。階段の下に広がる湖は波ひとつなく、ねっとりとしている。入口に飾られたランタンの炎もまた、その力を弱めつつあった。

 その最奥、祈りの間に、神さんは安楽椅子に腰かけるような形でこちらを待っていた。静かに燃える燭台の炎が照らし出す。ぐったりともたれかかっているが、特段命に危険があるというわけでもなさそうだ。俺を発見すると、神さんはゆっくりと腰を伸ばした。


「約束通り、そこの神喰らいもいるな」

「ふん、俺をこのように薄暗い場所に連れてきて、第一声がそれとはな。おもしろい。

 で、老衰しきった堕ちたる神さんが、この俺に一体何の用だ?」


 やっぱり、この二人は馬が合わないみたいだ。

 割り入って止めようと思ったが、その前に神さんがため息を吐いた。重たく、長い息だ。そうして、呟くように言った。


「……これならば、記憶を消さないほうがよかったかもしれないな」

「え?」


 俺とヒュウガは声を揃えた。

 記憶を消さないほうがよかったってことは、神さんはヒュウガから記憶を奪ったのか?


「貴様……堕ちたる神ごときが、この俺の海馬に手を加えたというのか! 十秒待ってやる。今すぐ俺の記憶を戻せ!」


 猛るヒュウガに、神さんは首を振った。


「無理だ。これは巷に溢れる催眠術などではないのだ。お前の記憶はもうこの世のどこにもない」

「なんだと!?」

「無くてお前が困るようなものではない。その貧弱な脳内にある数少ない記憶の欠片が消えてしまったことには、一応ご愁傷様とだけ言っておこう」

「貴様……!」


 ヒュウガの怒りは今にも臨界点を越えそうだ。仮にも殴りかかりでもしたら……俺は寒気を堪えながらヒュウガを下げ、煩わしそうに眉を顰める神さんに問う。


「一体なんで記憶なんて消したんだ?」

「それが、今日呼んだわけだ」


 あの神さんが力を使うなど、よっぽどでなければありもしないことだった。力を失いかけている今では、なおさらのことである。

 不安で早鐘と化した心臓を鎮める。俺と少し顔が陰っているヒュウガが見守る中、深刻な顔で神さんがゆっくりと袖口から取り出した物は、奇妙な形をしたモノだった。

 材質は鉄のように見える。鉄筒を折り曲げたような形だ。いろいろ付いている細かい装飾品か何かが、より一層それをよく分からなくさせた。神さんが持っているのだから、なんだろう、新しい燭台か何かだろうか。

 そう思ったとき、隣から異国の言葉が聞こえてきた。


「これは……ハンドガンか……!?」

「はんどがん?」


 初めて聞く単語だ。それに瞠目している暇など、俺には残されてはいなかった。


「この世界には銃なんてものがあったのか? いや、それ以前にオートマの時点でおかしいよな……?」

「あぁ、その通りだ。火縄ならまだしも、さらにリボルバーを飛ばしてのこれだ。もっとも、リボルバーですらまだ発明されてすらいないがな」

「なら何故こんな物がここに……」

「ちょっと、いまいち話が見えないんだが……」


 じゅうとか、おーとまとか、りぼるばーとか。全く聞いたこともない言葉に、頭がおかしくなりそうだ。それに、俺だけが理解できていないという状況も、なんだか癪に障る。


「なんなんだ? その、はんどがんとかなんとかって……」


 問うと、二人は難しい顔をした。答えてくれたのは、頬の筋肉が凝り固まったような顔の神さんだった。


「お前の知る言葉で例えるならば、クロスボウのようなものだ」

「クロスボウって、あの弓みたいなヤツ?」

「まぁ、威力は弓以上銃以下、といった感じだがな」


 説明補助をしたヒュウガの言葉に、俺は目を見開いて、食い入るように神さんの手にある鉄筒を見つめた。

 クロスボウとは、弓の強化版のようなものである。弓を引くだけの筋力を必要とせず、かわりに引き金を引くだけで、ボルトと呼ばれる矢を発射することができる。そのわりに威力は絶大で、騎士の鎧をたやすく打ち抜くこともできたという。

 そんなクロスボウよりも遥かに小形なその鉄筒が、クロスボウ以上に威力が高いとは……そんな恐ろしい武器があちらの世界にはあるのか。戦争とは無縁な平和ボケた世界だと思っていたから衝撃だ。


「そんなもん、初めて見た……」

「当たり前だ。銃器類は、まだこの世界には生まれていない。これはこことは異にする世界、ヒュウガの世界で生まれたものだからな」

「ヒュウガの世界……?」

「あぁ。模型が俺の家にある。間違いないだろう」

「問題は、これを持っていたのがヴェルジュリアの刺客だったということだ」

「えぇ!?」


 俺とヒュウガはまたもや声を揃えた。ヴェルジュリアはそんな兵器を手にしているのか……!? 恐怖と驚愕は顔に張りついてしまっていたのだろう。神さんは銃を懐にしまうと、手を組んで顎を乗せ、鋭い目でこちらを見つめた。


「本題は、ここからなのだ。リューク、農家の男で、最近行方不明となった者を知っているか?」


 その男とは、シエラの家にヒュウガを届けたときに、主婦らが井戸端で話していた男のことだろう。時告げの花農家で、昨日行方不明になったはずだ。


「その男だ。この銃を手にし、昨日この神喰らいに襲い掛かったのはな」

「ヒュウガが……?」


 横目にヒュウガを見る。当の本人は驚くこともなく、恐れを滲ませることもなく、腕を組んで唸っていた。なにか疑問があるようで、顔中に疑問符を張り付けている。


「そんな覚え、俺には全くないのだが……」

「あっては困る。言っただろう。記憶を消したのだと。お前の記憶の中では、私に会いに行き、会えずに途方に暮れていた、ということになっているはずだ。本来は、そこで男に襲われたのだがな」


 俺はあぁ、と手を打った。だから昨日、森を歩いたにしては汚れすぎていたのか。別の世界の者だから、と勝手に納得していたが。襲われていたのなら、砂埃を纏っていたのも、少し破けていたのも合点がいく。

 待てよ、と俺は気づいた。ならば、あの血の臭いは――。

 顔を上げると、神さんは首を振った。


「それはこの神喰らいのものではない。僅かながらには混じっているかもしれんが、その多くは男のものだ。お前の目の前で自害したときに付いたのだろう」


 それから、神さんは淡々と語った。ヒュウガの言っていたこととと照らし合わせると、こういうことらしい。

 ヒュウガは聖剣の乙女という役職に嫌気が差し、神さんに穢れを祓ってもらおうとした。その途中、彼の前に時告げの花農家の男が現れ、襲い掛かった。異世界の武器を乱用、その果てにヒュウガは危機に瀕したが、すんでのところで神さんが救出。神さんに見つかった男は、「穢れに殺られるくらいなら」と自らにその武器を使い、死んだという。それを目撃してしまったヒュウガの記憶を消し、神さんは死体を処理。恐らくその間に、俺はヒュウガを見つけたのだろう。

 ……確かに、消して然るべき記憶だ。


「男の頭には、奴らの刻印があった。ギルドラートの手先であるには違いないだろう」


 あぁ、間違いない。髪に隠れて見えない頭に刻印があるということは、端から潜入を前提としたに違いない。

 ならば、男はいつからこの街にいたのだ?

 たかが一、二年の沙汰ではない。俺がこの街を出てから再びやって来たのは三年前だ。仕事柄、人の移動というのは覚えてしまうタチだった。引っ越してきたという話はここ三年では無かった。ならば俺がこの街に来る前か、あるいはこの街で生まれた時からか――。


「なにも引っ越したということにこだわる必要はないだろ? もともとはそこの神を崇めていて、抱きこまれたという可能性も考えられる」


 青ざめた顔で言ったのはヒュウガだ。その顔に反していやに強い口調だったことに驚いたのは言うまでもない。彼は暗いものを隠すような強い語調で続ける。


「象徴なんだろ? その刻印が頭にあるのがなによりの証拠だ」

「神喰らいの言うとおりだ。この時世、ヴェルジュリアに救いを求める者が出てきてもおかしくはない。その過程で抱き込まれたのなら……」


 その先は、全て言わずとも、バカな俺でも分かった。


「寝返った奴は、もっといるかも知れねぇってことか……!」

「それだけではない。話を戻してみろ。奴らはあちらの世界の武器を手にしていた。つまり、奴らも召喚の秘術を使ったということだ」

「奴らって……人間にもできるのか?」


 ヒュウガの問いかけに、俺は奥歯を噛みしめて答えた。


「……いや、できねぇよ。できるのは神、悪魔、そして悪魔の使い魔だけだ」


 昔に神さんから聞いた話によると、召喚というものは、神族にしかできないという。それに属するのは、神と、神の堕ちたる姿たる悪魔と、神の眷属の堕ちたる姿たる悪魔の悪魔の使い魔だけだった。だが、肝心の方法は、使い魔には伝わってはいなかった。伝えるための悪魔が封印されているからだ。だが、ここには異世界の武器がある。ということはつまり、すでに奴らは召喚の方法を知ったということだ。自分で見つけ出したか、あるいは男のような内通者が伝えたか……。

 なんにせよ、こちらの状況が筒抜けになっているのは確定事項だ。ならば、疑問が残る。


「なら、なんでアイツらは俺たちを罰しないんだ? もうとっくに革命の話なんて知ってるはずだろ?」

「それだけではない。何故奴らがこの神喰らいを狙ったのか。それも気になる」


 何故ヒュウガを狙ったのか。聖剣の乙女として自分に害があるのは確定なのに、何故広場で処さなかったのか。いろんな疑問は残るばかりだ。

 とりあえずはだ、と硬い顔のヒュウガが俺を見た。


「革命は一筋縄ではいかないな」


 まったくだ。俺たちは頷いた。

 どうやら俺たちは、異世界の技術とも争わなければならないみたいだ。

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