三日目3
――我々は君を軽蔑したりはしない。嘲ったり、罵ったりもしない。いつでも、待っていますよ。
よぎった声に、俺は頭を振って駆け抜けた。その声は、だんだんと大きくなっているように思えたが、きっと気のせいだ。
シエラの家に戻ると、ディエさんが迎えてくれた。
「おや、ずいぶんと早いお帰りで」
「アイツら、全然やる気がないですから」
疑わし気な目を向けるディエさんに適当に返事し、玄関から室内を覗く。
早く、シエラとヒュウガに会いたかった。
聖剣の穢れを、穢れた心を慰めてほしかった。
「……シエラ様とヒュウガ様はこちらですよ」
眼鏡を掛け直してディエさんは奥を指し示す。どうやら、また部屋に籠っているようだ。
お邪魔しますと、廊下を大股で進む。シエラは大丈夫だろうか、あんな気が狂うような話に付き合わされて。ヒュウガは大丈夫だろうか、あんな気が狂うような部屋に籠らされて。
鍵のかかっていない扉を破る勢いで開く。そこには、異様なほどの盛り上がりを見せる二人の姿があった。
無我夢中で己の世界を語り続けるヒュウガ。それに相槌を打ちながら、猛烈な勢いで筆を走らせているシエラ。
二人は俺の姿を確認すると、その輝いた目で迫ってきた。
「聞いてリューク! ヒュウガの世界、なんだかとっても幻想的なのよ! ねぇ、ふぇありーって知ってる? どらごんって知ってる? 神と人間だけじゃないのよ!」
「まぁ、まだ語りつくせぬこともあるわけだが、そう急ぐこともないだろうし、それに我が生まれた世界にはまだまだ美しいものがあるわけで……」
うっとりと目を細めるシエラと、照れくさそうだが、まんざらでもなさそうなヒュウガ。
……まぁ、とにかく、仲良さげでなによりだ。
ほら見て! とシエラが示した巨大なキャンバスには、何とも不思議で見たこともない、幻想的な世界が広がっていた。尖塔の神殿にを仰ぐように咲き誇るソリアの青。そして淡く輝くシオンの花をまとった小人が、緻密な金細工のような虫の翅で羽ばたいている。神殿の遠くでは、トカゲのような肢体に羊の角、さらに大鷲の翼を与えたような歪な生物が羽ばたいていた。その後を、地表から噴き出る深い青の炎が追いかけている。
これが、ヒュウガの思い描く世界なのだろう。
確かに、惹かれるものはある。芸術的な美しさを孕む生物と、この世界では起こりえない不思議な自然。そこに美しさを見出し、もとの世界に戻ってこられなくなるのも分かる。
こんなクソみたいな世界では、ヒュウガのように妄想に飛び込みたくなる気持ちも分かってしまう。
――彼もまた、それを空虚な戯言だと気づく日が来るのだろうか。
「で、それでどんなものがまだあるのかしら。それに、あなたのその世界での暮らしも知りたいわ!」
「あぁ、よかろう。この俺はかの世界、ハーネバンドで生を受けたのだ……」
気が付くと、また彼らはよくわからない世界で盛り上がっている。このまま放っておけば、永遠に話し続けていてもおかしくない。
「お嬢様。はしゃぐのはいいですが、リビングにしませんか。ヒュウガの方はまだこの部屋に慣れてないし」
「いや、この部屋でも構わんが」
「はぁ? なんでだよ」
「いや……あちらの世界の環境と酷似しているというか……」
つまり、コイツもシエラ同様、部屋に籠りきっているということか。
なら、なおさらだ。
「とにかく、早く来てくださいね」
あちらの世界でもこちらの世界でもこんな部屋にいては、早死にしてしまうだろう。
えぇ!? と不服めいた二人の声を残し、俺はリビングへと向かった。リビングにはディエさんが立っていて、すでに人数分の紅茶が用意されていた。テーブルの真ん中には、シエラの花が生けられている。
「どうです? お二人の様子は。仲、よろしかったでしょう」
「そうですね。まぁ、意気投合したみたいで」
「楽しそうでなによりです。そろそろお忙しくなるでしょうし、そうなるとシエラ様も、こう、楽しい話などしていられませんから」
「はい……」
そんな会話をしていると、数分遅れて二人もリビングに入ってきた。
シエラは自分の隣にヒュウガを招き、吐き気がするほどの引き粉を掬い入れながら、話の続きをしていた。目を輝かせて話を求める彼女に、ヒュウガは紅茶を含みながら自慢げに答える。ディエさんはその様子に目を細めていたり、たまに困った顔をするヒュウガを見てはシエラをたしなめていた。
俺は、それをはたから見ている。俺だけが、膜一枚を隔てて彼らを見ている。まるで、俺の方が別の世界から来た人間のようだ。
――いつも、そうだった。
親を知らず、悪魔と貶められ、行き場を失った俺を雇ってくれたリードラット家。彼らだけが俺に優しくしてくれた。俺を人として扱ってくれた。だが、俺は溶け込めない。いくら彼らが近づいてこようが、この距離は縮まることなく、いや、俺が遠のいていく。
――俺と、彼らは違う。
紅茶には、陰鬱な男の顔が映っている。ソイツと目が合うのが嫌で、俺は初めてミルクを入れた。初めて入れたミルクの味は、いまいちよくわからない。
「おい、ヒュウガ。あんまはしゃいでんなよ。本来の目的はそうじゃねぇんだからよ」
声を飛ばすと、二人は露骨に顔を歪めた。別に、二人に水を刺したのは、そのぬくもりを見たくなかったからじゃない。そもそも今日ここに来たのは、単にヒュウガを遊ばせるためではないのだ。この地を護る者として、シエラは今の状況を知っておかねばならない。
二人は心地よくしゃべっていたところを邪魔され、俺に疎むような視線を向けてくる。だがしかし、
「現状を報告したいと思います」
その一声で、シエラは変わるのだ。
もう冷え切ったであろう甘い茶を飲み干し、一息ついてこちらを見つめる。
「そうね、話してくれる?」
その、威圧感さえ覚える、圧倒的目力よ。
民をまとめる者の風格をまとった視線を前には、いつも緊張してしまう。その透き通った琥珀色の瞳は、いつも先を見つめていた。俺も想像もつかないほど、はるか遠くの未来を。今の彼女が放つオーラは、完全にこの地を統べる者のそれだ。
ヒュウガの方は、急なシエラの変化に面食らったように目を瞬いていた。だが、その立ち入りがたい雰囲気を感じ取ったか、窓の方を眺めだした。案外空気が読めるのかもしれない。そうは思ったが、窓を見つめられても困るのだ。
「ヒュウガ、向こうを向いてる必要ねぇよ」
ヒュウガは眼だけをこちらに向けた。その純粋無垢な黒水晶のような瞳。幼子の面影を残す彼に、話すべきではないとは思う。
が、話さねばならぬことでもある。
「ヒュウガも聞いておいてほしい。この国の、絶望的な状況を知っておいてほしいんだ。共に戦う者として」
「え? いいのか?」
「むしろ、お前がいいなら」
「……話してくれるか」
頷き、俺は全員に目をやる。そして今日の話を、できるだけ要約して伝えた。
話し終えると、皆は唸った。
「想像を絶する協調性だな。本当に革命を起こす気があるのか?」
「それは俺が訊きたいよ」
「いや、そうだが……」
金も武器も食糧も協調性もない。
そんな中革命を起こして成功するかしないかは、ヒュウガでも分かったようだ。ぶつぶつと考え込んだ様子のヒュウガに。次に発言したのはディエさんだった。
「やはり、私も会議に参加するべきではないでしょうか?」
そう言うのは、彼も革命の主要メンバーであるからだろう。
俺は頭を横に振る。ディエさんはシエラを守るという大切な仕事があるのだ。忙しい彼の手を煩わせるわけにはいかない。
「大丈夫ですよ。ディエさんは家でお嬢様を守っていてください」
「しかし……」
「おかしいわ」
ディエさんの言葉を遮ったのは、ずっと口を閉ざしたままだったシエラだった。
「神は、史実ではすべての人間と協力して悪魔たちを討ったと言うわ。そこには人種や性別、貧富の差の垣根なんて存在していなかった。皆が同じ信念を掲げ、手を取り合ったというのに……。なぜ皆が手を取り合うことができないの? 同じ神の下に生まれたものじゃない……」
そう呟いて、彼女は目を伏せた。信じられないといった様子で首を振るシエラを見、俺は思う。きっと彼女のような敬虔な信者にこそ、この聖剣を握るにふさわしいのだろう、と。教えに忠実であるからこそ、俺なんかを赦したのだろう、と。
そう考えると、なんだか寂しくなる。
俺もまた、目を伏せた。視界の端に、シエラの足がちらついた。
結局その後は、なにも言葉を交わすことなくお開きとなった。
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