三日目2
路地に入り、右手で波線を辿る。闇の塊に突っ込んでいくのは、今でも緊張感が高まってしまう。自然と剣に手をかけてしまう。もうその必要はないというのに、不器用な体は今に慣れてはくれなかった。
やがて、光が見えた。と、同時に聞こえてくる声に、俺は足を止める。
アイツらの声だ。聞きたくもない、愚かな奴らの声。
――あんな奴の指導で、どうやって革命を成功させろというのだ。
――ホントだよ……ったく、なんでシエラ様はあんな奴を赦したんだろうな。
――全て等しく神の恩恵を承る、なんて言うが……人の道を違えたような悪魔は断罪されて然るべきだというのに。
――……なぜシエラ様は彼を許したのでしょう。
――洗脳に決まってるじゃない、悪魔の力を使ってね。そんな人の革命なんて……ねぇ?
――そりゃあ剣も曇る。なにしろ、穢れの塊が握っているのだからな。
「穢れの塊はお前らの方だろうが……っ!」
神を讃える場所で、他を貶める。
お前らの慕う神は差別を赦したのか? 死者を嗤うことを赦したのか?
怒りばかりが沸き起こる。だが、その怒りに従って動けば、アイツらの言うとおりになってしまう。穢れの塊が持つから、剣が曇ってしまう、と。集会前に問題を起こすわけにはいかない。
そうだ、愚かなのは俺の方だ。こんなくだらない戯言に耳を傾けて。
そう自分に言い聞かせ、俺は広場に足を踏み入れた。
「――あれ、もう、話し合ってたのか? すまない、遅れてしまって」
我ながら白々しい演技だ。それでも、途端慌て始めるバカを見るのは気分がよかった。
「いえいえ、別にそう大した話ではありません。ささ、早く席にお着きになって」
ルーザとはまた違う甘い香りがしたのは、オルガンが動いたからだ。椅子を引くオルガンに、俺は大股で歩み寄る。その間突き刺さる無数の視線は、バレていないとでも思っているのだろうか。バカにされたものだ。
祭壇ではシオンの柱にかかった燭台の炎が、巨像と五人を照らしていた。俺含め六人、初めて祭壇の机が埋まった。いつもは半分くらいしか埋まらないのに。さしずめ、先ほど通り、見えないところで人を嗤って楽しんでいるのだろう。バカげた奴らだ。
俺が席に着くと、早速オルガンが進行を始めた。
「……では、皆もそろったことですし、まずはアルカーバルの書、第百五十篇を」
そういった彼は、なんだか疲れているような気がした。が、どうせまっとうな理由によるものではないだろう。
皆が一斉に、中央の像に向かって頭を下げる。その様子は先ほど陰口を叩いていた様子とはずいぶん違う。先ほどの言葉が禁忌に触れないと信じ切っているのだろう。そこがまた滑稽な話だ。
長ったらしい祈りに参加するつもりはない。俺は、改めて今日集まった者たちを観察した。
俺の右隣にいる男が、薬剤師のオルガンだ。濃い緑の巻き毛とそばかすが特徴的だが、覚えやすい顔ではない。はっきり言ってどこにでもいそうな顔で、誰にでも愛想を振りまく八方美人だ。薬剤師であるため、常に体からは甘い匂いがしている。だが、俺はそれを薬草のせいではなく、香水のせいであると思っていた。
逆に俺の左隣にいる男が、神父のアルベルトだ。緑の髪には白がいくらか混じっていて、毛量は乏しい。神父という権限を振りかざし、異端を排除し続けたトップだ。それを正義だと思っているから、滑稽なことだ。そんな彼は屈強な体で小さな聖典を読んでいる。
そんな彼の隣にいるのが、パン屋のダニエラ。老眼鏡をかけ、白髪交じりの緑髪をまとめたふくよかな女で、迷惑なことに噂好き。自己中心的で思いやりに欠けた人だと俺は認識している。この中で一番嫌いな奴だ。
ローガンは仕立て屋を営んでいる若い男だ。肩に垂らした艶やかな髪とどこか憂えた深い青の瞳は詩人のようで、女をたぶらかしては遊んでいるという。薄情な男だが、神を敬愛しているだけまたタチが悪い。革命には特に関心はないらしく、この祈りが終わればすぐにでも帰りたいことだろう。別に帰ってくれて構わないのだが。
そして最後がレティーシアだ。前述したように、この街一の鍛冶屋。深い緑の長髪を肩に垂らし、神に頭を下げているが、神や信仰心なんてのにはこと無関心。それでも柔軟に回りに合わせられるのだから、すごい才能だと思っている。
八方美人にエセ神父。根も葉もない噂好きに女好き――こんな奴らに信仰され、救ってくれと言われるのだから、神さんも大変なものだ。救われると信じ切っているから、一層どうしようもない。
Sar weast destire chis D.
神を讃えましょう
不浄の民と呼ばれた私に祝福を与えてくださった神を
知恵と勇気の果実を授けてくださった神を
崩れゆく天井に歌いましょう
闇に差す光に笛を鳴らしましょう
割れた空へ剣を掲げましょう
主よ、あなたとあなたの使途による平和が訪れたと
神よ、あなたの導きで光が訪れました
枯れた草木、朽ちた世界、絶えた動物、希望無くした私
すべてに命を吹き込まれました
神よ、あなたの力と栄光と知恵を讃えます
Sar weast destire chis D――
長たらしい祈りが終わった頃には、俺はもうすでに疲れ果てていた。早いこと終わらせたいのに、面倒な儀式のせいでもう完全に時告げの花は枯れ果ててしまっている。
「そろそろ、本題に入りましょうか、リューク殿」
オルガンに話を振られ、俺はいつも通りに進めた。
「では、アルベルトから。報告を」
「主の具合が悪いらしい……その程度か」
「その程度」と言ってしまうあたり、教会もすっかり腐敗してしまったようだ。というより、この街が、ではあると思うが。
だが、確かに、最近は火の燃えようも悪い。草木のみずみずしさもない。神殿の水でさえ、少し濁りが見えてきている。神さんの具合が悪いのは、心配項目ではある。
「……じゃあ、ダニエラ。食糧の方が底を尽きかけているらしいが」
「えぇ、そろそろ尽きてもおかしくはありませんね」
「それについての対処は?」
「さぁ……誰かが食べなければいいんじゃありませんの?」
嫌みったらしい奴だ。パン屋だからって、食糧を多くもらうお前が食わなければいいだろうが。
口をついて出そうな言葉を飲みこみ、俺は進める。
「ローガンは?」
「特になし」
やる気がないなら帰れよ。
即答したローガンに怒りが募るが、ここで吠えても事態は落ち着かない。それどころか、一層悪い噂が立つだけだ。
「レティーシアはどうだ?」
「そろそろ資材が足りなくて困っているところです」
おとなしく座っていただけのレティーシアが答える。その変わりようには呆れるくらいだ。こうやって座っていれば、清楚で美しく見えるのに。もったいないと言えばそうだが、レティーシアにはそんな役は似合わない。できればいつも通り振る舞ってほしいが、ここでは俺とレティーシアは他人。レティーシアの本当の姿を知るのは俺だけだ。
そんなレティーシアの姿に鼻の下を長くしているローガンに俺は頼む。
「じゃあ、その調達を任せていいか? ローガン」
「なんで俺が、」
「物資調達班だろう? それに仕立て屋の革製品が防具には必要だしな」
「……偉そうにしやがって」
「なんだって?」
別に、とだけ答えると、ローガンは口を閉ざした。それにため息をついていると、オルガンが手を挙げた。
「で、聖剣の方と革命の予定はどうなのでしょうか?」
「そうよ、あなたの方はどうなったの? 召喚されたあの変な子どもは、本当に穢れを祓えたの? 私には、到底そんなことができたとは思えませんけど」
くすりと笑ったダニエラに、ローガンとアルベルトも小さく笑った。本当にムカつく奴らだ。その不快な笑みに、俺は怒りを抑えて答える。
「聖剣の方は無事、もとの輝きを取り戻している」
「本当かしら」
目線を泳がせたダニエラを殴り飛ばしたかったが、ぐっとこらえて続ける。
「……で、革命は一週間以内には決行の予定だ」
「えぇ!?」
レティーシア含め、全員が腰を上げた。その目には、驚愕の色がある。
「一週間だと!?」
まず大声をあげたのはアルベルトだった。
「一週間とは……さすがに急すぎではないか?」
「言うのが遅くなって申し訳ないとは思っている。だが、それが乙女の願いなんだ。理解してやってほしい」
「理解できるわけないでしょ!」
キーンと耳に刺さる声のダニエラは、卓上に身を乗り出した。
「なんでその子の事情を鑑みなければならないの!? 革命を起こすのは私たちなのよ!」
「そうだ!」
次に立ち上がったのはローガンだ。
「別に危険なところに飛び込むわけじゃないからって調子乗りやがって、なんでそんな奴のわがままを俺らが聞かなきゃなんねぇんだよ!」
「そうよ! その子の事情なんて、あたしたちになんの関係があるっていうのさ!」
「あぁ、さすがにそれはみんな容認はできんぞ」
頭を突き出し、三人は言いたい放題。レティーシアとオルガンは彼らをなだめるのに必死だ。
まったく、レティーシアの言うとおりだ。他のために尽くす勇者など、他のことを想いやれる人間など、神に狂った奴らの中には生まれない。自分主義だ。異人嫌いの奴らは、異人である者の考えなど、気持ちなど推し量ろうとしない。少しでも期待した俺がバカだった。
だから、俺は懐から聖剣を抜いた。それを、三人の眼前に突き立てる。
「あっ、危ねぇだろうが!」
「……見ろよ」
うるさい奴らに突き立てたのは、今まさに曇っていく聖剣だ。燭台の炎に濡らされ、三人の眼前で見る見るうちにその光を失っていく。
三人の声も、見る見るうちに小さくなっていった。
「皮肉なもんだよな。神を敬愛する者の言葉で、神の剣が曇るなんてよ」
瞬く間に悪意に染まっていった剣に、もはや使い道などない。
俺は剣をしまい立ち上がる。こんな窮屈で吐き気がしそうなところ、すぐにでも立ち去りたかった。
「そんなに異人が嫌いならよ、異人に頼ってんじゃねぇよ。なんにもならねぇ祈りと陰口だけたたいてさ。調子乗ってんのはお前らの方だよ、とっとと死ね」
「おい、リューク!」
レティーシアの声だけが反響した。俺はさっさと路地に入り、そこから走って奴らから遠ざかった。
髪の色が違うだけで異端と言われ、親の顔を知らないだけで悪魔だと言われる。悪魔に仕立て上げたのはお前たちだというのに、気づかずにのうのうと生きている。まったく、訳が分からない。なぜ誰かを責めなければ生きてゆけないのか。なぜ、俺だけでなく、ヒュウガまで責められることになるのか。
やはり、ヒュウガにだけは見せてはいけない。
まだ表層的な悪しか知らないような子どもに、こんな粘着質な悪は知る必要などない。
右目が焼けるように熱く痛む。忌々しい後悔の記録を振り切るように、俺は足早に路地を抜けた。
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