二日目5
五つの広場は、そのほとんどがギルドラートによって破壊されていた。しかし、そのひとつ、スフィア広場だけが、なぜか破壊の手を逃れたのだ。故に、人々は一時的に簡易的な組合を設けた。
その道中に、さっきの教会がある。俺は気まぐれに寄ってみることにしたのだが。
「あれ、消えてる……」
突き立てた刃も、刃を突き立てられた死骸も、そこにはなかった。代わりにそこにあったのは、赤黒いケルズの花だった。それを見、俺は悟る。
「ヴェルジュリア……」
死人の下、つんと鼻を刺す薬品臭を放つという花、ケルズ。そのなまめかしい花は、ギルドラートの所属する組織、ヴェルジュリアのシンボルであった。
生温かい風が吹き抜け、ケルズの花を揺らす。
ここにいるのも不安になって、俺は教会を後にした。
ギルドラートはなにを企んでいる?
奴のあの顔と、セグレタの狙い。奴の狙いにヒュウガがあることを示している。
だが、なぜ?
奴らにとって、ヒュウガはただの人間に過ぎないはずであった。いや、服装などでただ者ではないとバレてしまったのだろうか。奴らにとって、不穏分子になると。
――あるいは、聖剣の存在に。
考えすぎだと、俺は首を振る。妙に空寒い風が吹いて、俺は足を速めた。
やがて見えてきた広場に一歩足を踏み入れる。途端、俺はまぶしさに目を細めた。
大きな祭壇があった。中心には巨大な白い大理石の神の姿。それを取り囲むように、不釣り合いな木製のテーブルが並んでいた。
壁に彫られた神々の生誕の歴史。神を讃える言葉。祭壇を取り囲むように四隅に立つ細い柱は、シアンが模されていた。昇りうねる炎のような、ねじれた柱だ。四柱はアーチ状の天蓋を支えており、天蓋には大きく、象徴化した天秤のようなものが描かれていた。その周りの隙間には、五つのステンドグラスがはめ込まれていた。水色の透明感あふれる水のような花、ソリア。星屑のように小さい無数の橙色の花、ルーザをあしらったステンドグラスだ。日の光が差し込み、何とも言えない神々しさを巨像に降り注いでいた。
不信心な俺でさえ、その厳かな有様には身を打たれるようだった。かといって、その心を神に捧げるつもりは毛頭ないが。
見とれる、でもないが、無人の組合所にしばしとどまる。そのとき、声が聞こえてきた。
「なんだ、リュークか」
巨像の方からの、低い女の声だ。巨像が喋った、奇跡なのか……よく勘違いする奴がいるらしいが、これは奇跡じゃないのを知っている。
「なんだってなんだよ」
「いや、街の奴らが来たのかと思っただけだ」
ゴンっという音がしてテーブルに回り込むと、そこにはレティーシアが座っていた。この街では珍しく肉づきも血色もいいが、テーブルに巨像に足を向ける形で足をのせた、罰当たりだと言われそうな女だ。孔雀の羽のような長い髪は、明るい緑と暗い緑のグラデーション。れっきとした、この国出身だ。そして、この街一の鍛冶屋。右手に革グローブ、そして革エプロンをしてるので、またいつものように創作に行き詰ったのだろう。彼女はなにかに躓くと、日が暮れて間もないこの時間に、この祭壇にやってくる。この時間はまだ他の商業主たちはいないからだ。邪魔されない一人の空間、彼女はインスピレーションを求めに来る。
だから、たいてい俺が来たときは機嫌が悪くなる。
遠慮していると負けなのは知っている。俺が近づくと、レティーシアはポケットからどこから手に入れたのかわからない煙草と、イブリア火花のおしべを取り出した。それを左指にはまったイブリア火花の赤い指輪に擦り、煙草に火を灯す。彼女にとって、煙草はまずくて食えないパンの代わりだという。不健康そうであるというのに、なぜこれほどまでに血色がいいのかは理解不能だ。
一服しながら、彼女は疑問に気怠い目を細めた。
「なんの用だ?」
「言ってたろ、砥石の件」
「あーぁ、あれね」
思い出したか、彼女は作業ベルトのポケットから、大きさの違う長方形の石を三つほど取り出した。これが用意してくれた砥石だろう。
「前より少し荒いか……まぁ、砥げないことはない。一級はないんだ。我慢してくれ」
ほい、と渡された砥石に目を凝らす。前もらったものと大差はないように思えるが、レティーシアが言うんだから、そうであるには違いない。
ありがとうと、装束の内ポケットに砥石をしまう。用は済んだ。レティーシアがキレないうちに立ち去ろうと背を向けたとき、彼女は紫煙を吐きだした。
「ずっと思ってたんだけど、お前が使うようなもんじゃないだろう?」
息が止まりかけたのは、まさか彼女の口からそんな言葉が飛び出してくるとは思わなかったから。いつ聞かれるのかとは思っていたが、それが今来るとは思いもしなかった。
たしかに、この剣は俺が使うようなものではないだろう。細身の反り返った刃に、柄に施された天使の装飾。刀身には細かい字で、「Sar weast destire chis D」と彫り込まれてある。アルマトレバの英雄として持つ剣としては不十分すぎるし、神嫌いの俺が持つ剣だとすれば、ずいぶん似合わない。
――だが、手放せないのだ。
「で、どうなんだ?」
「……別に、なんだっていいだろ」
「なんだそれは。答えになってないぞ」
いちいちうるさい奴だ。それを聞いて、なにかが起こるというわけでもないというのに。
じゃあ、と俺は祭壇を見上げた。アーシュヴェルンを信仰する奴らが繰り上げたモノ。象徴をぶち込んだ、秩序とセンスの欠片もないモノだ。
「じゃあ、なんでお前は神さんを信仰しないのに、んなもん見に来てんだよ」
「別に、私は神を求めているわけじゃない。この祭壇の、絶妙なセンスに秘められた美。そこにインスピレーションを求めているだけだ。私は武器という作品にも、美というものを追求するからな」
「……はぁ」
実にレティーシアらしい、自由で横暴な理由だ。笑ってしまうくらいに清々しい。まぁ、それが彼女の彼女たる所以なのだが。
「で、お前はどうなんだよ。まさか、私だけ吐かせて終わりじゃないよな?」
「……別に、本当に理由なんてない」
苛立たしげに吐きだされた紫煙を全身に浴びる。その息の詰まるような臭いから逃れるように、俺はレティーシアに背を向けた。
リューク。そう呼び止めた彼女の声は、もう苛立ちを孕んではいなかった。全てを合点したような、落ち着いたいつもの声だ。あまり深入りしない。俺が言いたくない、そのぎりぎりのラインしか攻めない。レティーシアのそういうところを俺は気に入っていた。
だから、俺は止まった。振り返り、英雄としての職務を全うするためだけの理由で、俺は問うた。
「鍛冶屋、最近どうだ?」
革命にあたり、武器は多いに越したことはない。武器と言っても、その多くが鍬や鋤などの農用具であったが、彼女はその修繕や製造をしてくれていた。
彼女は突然の問いに少し面食らったように止まり、葉巻をくわえた。苦虫でも噛みつぶしたような顔で紫煙を吐き出す。
「最悪だ」
「最悪……?」
「あぁ。ギルドラートの野郎、反逆者を消すために鉄や鋼の原価を上げやがった。さらに、金属税なんてのも作りやがった。金がいくらあっても足りねぇよ」
「じゃあ、今武器は――」
「安心しろ。古いヤツなら余ってるし、私が試作に作ってたヤツもたくさんある。鉄ならまだ余ってるし……ここでなんとかするのがプロってやつだ。お前が心配する必要はない」
「だけど、」
「それに今は、武器じゃなく食糧の方を心配したほうがいいだろう。備蓄してるヤツにもそろそろ底が見えてきた。相も変わらず価格は高い。作ってる分にも、二年前の増税の影響ですぐ消えちまうしな。ちなみに、ほかの商業組合は一切機能してないよ」
食品と鉱物の価格高騰。備蓄された食糧は底を尽きつつある。その状況下での増税。そして組合の崩壊。
「これじゃなんのための組合所だ……」
「まぁ、本来通りのモンじゃないからな。他のために尽くす勇者など、神に狂った奴らの中には生まれないさ」
誰かに聞かれては即刻俺と同じ扱いを受けるというのに、レティーシアは平然とそんなことを言ってのける。呆れるを通り越して怖くなるが……本当にそうなのだ。
利益を約束されたるのが組合だが、今ではその利益は約束されない。自分の利益を捨て、他のために活動する支援団体のようになっていた。そんな無償の奉仕をするような者がこの街にいるのか。そう問われると、俺は間違いなく首を横に振るだろう。神の助けを待つような奴らに、人助けなどできるわけがない。
「お前がいてくれて助かるよ。ありがとな」
今、正常に機能している唯一の組合として、レティーシアがいるのは本当にありがたいことだ。こればかりは、聖剣の力があってなんとかなるようなものではない。
再び背を向け、ポケットの砥石に触れる。今のこの少ない資源の中、俺のためにタダでよこしてくれたことに対しても、感謝してもしきれない。
「なぁ、」
レティーシアに呼び止められ、俺は振り返った。葉巻の葉を落としながら、愉快そうに目を細めながら続ける。
「そういや、あの噂の乙女さん。神を喰うだの、堂々と公言したらしいな。おもしろい奴じゃないか。今度ぜひ会わせてくれよ。インスピレーションが湧くかもしれないしな」
喉を鳴らして、レティーシアは笑った。そのあまりにも純粋で、鍛冶屋兼芸術家としての好奇心ゆえの頼みに、俺も笑ってしまった。笑いが引く前に背を向け、片手を振る。
「いつかな、会わせてやるよ」
「おぅ、頼んだぞ」
きっと、俺の後ろでは、白い歯を覗かせながら片手を上げるレティーシアがいるのだろう。ヒュウガと会った時の表情が楽しみだ。それを楽しむのも悪くはないだろう。
俺は剣をホルダーに入れ、広場を後にした。
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