二日目4


「はぐれるな。この先は真っ暗だぞ」

 家に帰ろうにも、戻ると人々の標的になるのは必至だ。なら、遠回りをせねばならない。

 俺は壁に手を立て、闇に等しい路地裏を進んだ。壁には7つの異なる線が刻まれている。それを辿っていけば、中央広場を取り囲む、小さな広場の五つと山に辿り着けるのだ。もちろん、それぞれの場所もまた、それぞれにつながっている。とりあえず、中央広場に戻るべきだろう。


「お前、ギルドラートと知り合いだろう? どういった関係なんだ?」


 背後からの突然の問いに、パンをかじる手が止まった。


「何故それを、」

「アイツの目はお前を捉えていたからな」


 変に鋭い目を持っている男だ。

 俺はヒュウガをぎろりと睨みつける。


「……お前には関係ない」

「俺はお前の要求に応じたというのに、お前は黙るのだな」

「別に俺が頼んだわけじゃない」

「俺は聖剣の穢れを祓わないという選択もできるのだが」

「その場合、お前は一生このクソ街住まいになるな」

「その時が来れば、皆が死ぬことになるだろうな。あの車椅子の少女も」


 俺は無言で睨み続けていた。異様にむかむかした思考は、懐の剣に集中している。この誰もいない路上であれば、通り魔のせいにしてコイツを――。

 よぎった不穏な考えを押しとどめる。俺は視線を前方に戻し、パンをうまくもないのにじっくりと咀嚼した。ひどく乾いた喉に引っ掛かりそうになるパンを飲み込む。

 俺は目を閉じて、右目の記憶を掘り起こした。

 炎に揺らぐ視界の中で、悪魔が天使のような笑みを浮かべていた。


「……悪魔なんだよ、アイツ」

「悪魔? 奴が、か?」


 ヒュウガが困惑げに言った。確かに、奴の姿は先程説明した悪魔とは駆け離れすぎている。だが、確かに奴は悪魔だった。

 それは、今でも夢に見る、少年の日の思い出。リードラット家で使用人として働いていた頃のことだ。


「四枚の銀翼に白の法衣。整った顔に緑糸の髪。……昔、俺の目の前に現れたんだ。奴なのかどうかも分かんねぇ。だけど、たぶん奴だ。断言できる」

「なんだ、それは」


 似ていた。――そう、似ていたのだ。それが同一であるかは分からない。どこか同じだがどこかが違う。奴に似て非なる存在でもあり、確実に奴である悪魔は、俺に目をかけた。憑りついたのだ。


「……関係なんてもんはない。ただ奴が俺を見ている。それだけのことさ。

 ――以上。黙って歩け」

「本当に? 一切覚えがないのか?」


 言ったそばからヒュウガは問う。黙ることを知らない神だ。

 だんだんこの知りたがりのガキへの苛立ちが復活してきた。いい加減殴り飛ばしてもバチは当たらないんじゃないか。そう考え、拳を構えて振り返る。

 ざっと、砂を踏むような音を聞いた。

 拳を解き、俺は耳を澄ます。その注意しても聞くのが難しいほどの音は、ヒュウガの耳には入らなかったようだ。固まって耳を澄ます俺を、不思議そうに見つめる。


「……どう――」


 口を開きかけたヒュウガをジェスチャーで黙れと合図する。

 口をつぐんだ彼を見届けながら、俺は闇に集中する。

 ざっという音……人数はひとり。街の者だろうか。だが音は右の方から聞こえてくる。右にあるのは……早々に街を出て行った上位階級の住宅群があるだけだ。つまり、無人であり、誰も近寄ることはないはずである。

 声を潜め、ヒュウガを手招く。


「ヒュウガ、そばに来い」

「なぜ、俺が貴様のそばなんかに……」

「じゃあそこで死んでな」


 その言葉に、ヒュウガは息を呑んだ。すぐそばに寄ってきたのが気配でわかる。使い物にならない面倒な神だ。置いていきたい気持ちをとどめ、俺はヒュウガの手を引いて、暗闇の中を左に進んだ。足音は俺たちを追うように、最短距離で近づいてくる。民ではないだろう。となると、奴らの仕業であるに違いない。たしか、この先に街の教会があったはずだ。今はもう壊されて、荒れ地のようになっているが、最悪の事態ではあそこにいるのが一番だろう。

 そう思案している間に、教会が見えた。か細く差し込む日の光だけが照らした教会は様々な花で彩られている。が、その外見は荘厳な使途の家というよりは、荒れ地の魔女の家と言った感じであった。


「ヒュウガ。お前は教会に着いたらすぐ隠れろ。物音は一切立てるな。呼吸も控えろわかったな?」

「え、なぜ」

「いいから早く――」


 そう言い切る前に、壮絶な寒気が襲った。俺はヒュウガを突き飛ばし、教会内に転がり込む。その耳元で獣のような生温かい息を感じた。


「早く!」


 その声に、ヒュウガの気配が遠ざかっていった。その代わり、カーンと石畳を打つ音と、悲鳴じみた奇声が近づいてきた。俺は飛び上がり、少しでも灯りを求めて遠ざかる。暗闇での戦いに慣れてはいたが、コイツとは相性が悪い。すさまじい音に流し目に後ろを見ると、筋肉隆々な男が振り回す大剣がイブリア火花を刈り上げているところだった。その姿に、憶測は確信へと変わる。


「やっぱりセグレタか……」


 距離を置き、抜いた剣を構える。呟いた声に反応し、セグレタは大剣を振り回しながらこちらへと向かってきた。それを軽くかわし、背を撫でるように一太刀を見舞う。鋭く研ぎ澄まされた剣は血をほとばしらせたが、それにセグレタが悲鳴を漏らすことはない。痛みなど感じぬ化け物は、目を布で覆われているというのに、的確に大剣を振るい続けた。それをかわしながら、着実に刃を当てていく。

 夜を回るセグレタは化け物である。ヴェルジュリアの力によって強化された彼らは、まったく死を恐れない。痛みも感じないのだ。さらに面倒なことに――。


「……ぅ」


 微かに前方から聞こえたのは――ヒュウガの声だ。その声に反応したセグレタは、自らの背後まで剣をぶん回した。空気が割れるほどの威力に怯んでいると、腹に衝撃が走った。肘で突かれたのだろう。その鋭利な痛みに体はふらつき、目は眩む。俺は思わずイブリアの赤い花畑に倒れこんだ。

 ――そう。さらに面倒なことに、セグレタは聴覚、視覚に優れているのだ。だから小さな明かりでも俺たちの位置を探ることができた。どんな些細な音でも聞き逃さないから。

 それにより、今はヒュウガが狙われている。


「おい! このでかぶつが! お前のことだよギルドラートの飼い犬がよっ!」


 俺の貧相な語彙が思いつく限りの暴言を吐いたが、奴は教会の物置に目を向けたまま、反応を示さない。ヒュウガはそこに隠れているのだろう。完全にターゲットがヒュウガに向いたようだった。

 こいつ、俺を狙っていたんじゃないのか……?

 よぎった疑問は後回しだ。セグレタは大剣を物置の木の戸に叩きつけている。嫌な音を戸が立てていることから、もうすぐ破られることだろう。その前になんとかしなければ……。

 剣程度ではあの鈍い痛覚を刺激することは不可能だろう。かといって、これ以外武器はない。そのほかに今ここにあるのは、教会の瓦礫と無数のイブリア火花だけである。

 ――イブリア火花?


「……そうだ、それだ」


 突然、稲妻が瞬いたかのように閃いた。策士とは言えないつたない考えではあったが、確実に奴には効く。

 賭けるしかない。痛む全身に鞭打ち、なんとか立ち上がる。


「セグレタ! おい、こっち向けやっ!!」


 力の限り吠え、そして、そばの瓦礫に剣を突き立てた。

 キーンと響く、甲高い音。耳障りではあるが、さほど気にはならない程度の音。

 だが、セグレタの聴覚では、それは凶鳥の悲鳴と同じであり、地獄のような苦しみを伴うはずだ。

 読み通り、セグレタは身をよじり、獣のような奇声を上げた。唾をまき散らせ、俺をその目に捉えると、狂ったように飛びかかってきた。その単調な動きをかわすのに苦労はしない。だが、俺は避けず、狙ってくれと言わんばかりに仁王立ちした。引っかかってくれと、切に願いながら。

 そんな俺の願いが届いたか、セグレタはなんの警戒心もなくまっすぐ突っ込んでくる。

 俺は口角を吊り上げた。

 左手に構えるのは、剣ではなくイブリア火花。右手に摘まんだのもまた、イブリア火花の硬いおしべである。

 その振り上げられた大剣が脳天を貫く前に、俺はおしべで花弁を擦った。

 イブリア火花はぼんっと音を立て、セグレタの眼前で小爆発を起こした。


「――――ぁあっ!!」


 剣を投げ捨て、地獄で喚く亡者のような叫び声を上げ、セグレタは両目を押さえた。怯んだように後ずさる奴の顔面に燃え上がる火花を投げる。俺は、喚き悶える奴の喉元に剣を深々と突き刺した。

 セグレタは視覚が敏感である。故に彼らは夜を回り、昼間はその目を布で覆うのだ。いきなり炎に瞬かれては、その目に走る衝撃は太陽を見たが如くと言ったところだろう。

 一気に剣を引き抜く。奇声はごぼごぼという音に変わり、その音ですらひゅうと気の抜けたような音に変わっていく。じたばたと動き回っていたその体は、やがて動かなくなった。念には念を。俺はその背に、ヤツの大剣を突き刺した。

 骨が砕けたような音に、ぴしゃりと血が吹き飛ぶ。

 この化け物じみた野郎も、もとは人間だったのか。

 装束の袖で剣の血を拭いながらそんなことを思う。人間を捨ててまで悪魔を慕うなどバカげた野郎だ。神に堕ちる奴らもだが、悪魔に堕ちる奴らも奴らだ。一生相容れることはないだろう。

 俺は死骸に背を向け、ボロボロの扉へ向かう。ヒュウガの安否を確かめなければならないのだ。

 教会の端にある小屋は穴だらけになっていた。ところどころ板が外れていて、中が丸見えになっている。あと一歩遅れていたら、ヒュウガもこの板切れの仲間となっていたことだろう。そんなヒュウガは、小屋の奥で膝を抱えている。


「……おい、なにしてんだよ」


 声をかけるが、彼は反応しない。歌声のようなものが聞こえたと思ったが、それはヒュウガのうわごとだった。形にならない言葉を紡ぐその姿は、あの拗らせた偉そうな姿はどこにもない。


「なんだよ、弱っちまってんのか?」


 返事も反応もない。言葉にならない音を呟いているだけだ。

 もしかしてコイツ……血に弱ったのか? まさか、さっきの声は……悲鳴だったのか。


「……勘弁してくれよ」


 もう頭を抱えるしかない。いくら穢れに触れてないからって、血を見ただけで弱るとは……向こうの人々はこんな脆弱な精神力と肉体で生きているのか? とんだもやし人間ばかりじゃないか。箱庭育ちの女じゃないんだから……。

 愚痴ばかりが零れてくるが、後回しだ。とりあえずここから離れなければ。いつヴェルジュリアの奴らが勘づいてくるかわからない。


「おら、立てよ」


 ヒュウガの手を引くと、はじめ彼は抵抗した。ひどく怯えたように俺の手を弾き、自らの頭をがしりと掴む。顔を起こすことを、というより、目の前の光景が目に映るのを拒んでいるようだった。

 まったく、面倒だ。

 深くため息をつき、俺は血にまみれた装束を脱いだ。裏返して、腰に巻く。


「おい帰るぞ、ひ弱もやし」


 ヒュウガは暴言にも無言で、反応もしなかった。どうやら本当に弱ってしまったらしい。これは家に運ぶしかなさそうだ。

 俺はため息をつき、ヒュウガの脇と肩に手を回す。今度はなんの抵抗もなく支えあげることができた。脆弱とは思えないほど案外肉づきはよく、体は重たかった。それがぐったりしているゆえのものなのかは分かりかねるが。

 大通りに出ると、人々は先程より見受けられるようになった。それに伴って刺さる、人々の視線、言葉。彼らの目には、呪いが込められているような気がした。それを見ないように俯き、俺は石畳を鳴らした。

 薄紫の花弁は、太陽の光に煌めいていた。時告げの花は昼の訪れを告げている。やることもなく、空しく過ぎていくだけの昼だ。

 ――ふっと、ちらりと目に映ったヒュウガの横顔。

 その青白さは、暑さによるものか。

 早足で着いた小屋の床、絨毯の上にヒュウガを寝かせる。水を汲む前に、俺は明かりを灯すことにした。窓台の上に積み重なったイブリア火花で小爆発を起こし、燃え上がったおしべでランタンに火を灯す。明るくなった部屋にヒュウガを置き、俺は井戸から水を汲んでくる。コップの水を差しだすが、彼は悪夢でも見ているのか、唸るだけだ。

 その後、様子を見たが、一向に良くはならない。

 早めの飯であるパン粥とリンゴをもらい、ヒュウガに届ける。水を替え、俺が飯を食べ終わるまでの待ってみたりしたが、目覚める気配はない。


「……仕方ないか」


 そういえば、砥石が尽きていたのだ。ちょうどいい時間だし、少し家を空けようか。

 扉に手をかけ、振り向く。果たして、弱ったもやしを置いて行って大丈夫だろうか。

 ――いや、こんな家を襲う奴らなんていないだろう?

 問いに答えた声に、俺は妙に納得した。たしかに、その通りだ。好んで俺の家にやってくる者などいない。

 かくして、俺は頷きながら、町のギルドへと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る