一日目3
シエラを家に送り届け、家に向かう。石畳の道には、人はおろか動物すら見当たらない。
路肩に植えられた時告げの花は、もうすっかりしぼみ切っていた。空では星が輝いている。紫の美しい花弁が再び見ることができるのは、また太陽が昇ってからだ。もっとも、その時まで生きていられたら、の話だが。
遠くで聞こえる、獣じみた蛮声。
また、夜が訪れるのだ。
石畳を鳴らす足音が早くなる。
「この世界の者は、皆、神に狂っているのか?」
背後からの問いかけに、俺は一瞬足を止めた。
こんな問いをするということは、ヒュウガの世界はもしかしたら神への信仰などないのかもしれない。もちろん、こんなクソみたいな奴らもいなくて――。
憧れる。そんな世界に。
俺は鼻で笑った。その、物怖じしないヒュウガの問いかけに。
「やっぱ、お前が見てもそう思うのか」
歩みを続けると、後ろから追ってくる足音。
やはり、俺たちはまともだったのだ。
狂っているのは、いつだってアイツらの方だった。
「確かに、この世界には神狂いが多い。特にあの神――アーシュヴェルンを信仰する奴がな」
悪魔の支配からこの世界を解き放った時、新たにこの世界を生み出したとされる神だ。神話の英雄の一人だから。きっとそんな簡単な理由に違いない。
ヒュウガは言葉を選ぶように、途絶えながら問う。
「お前も……神狂いなのか?」
その、慎重な問い方よ。
俺は思わず笑ってしまった。久々といってもいいくらい、大仰なまでの笑い声で。
こんなこと、聞く奴がいるとは思わなかった。俺は息を吐き、呼吸を落ち着かせてから答えた。
「んなわけねぇだろ?」
ヒュウガのほっと吐き出された息を背中に感じる。彼の世界が神に汚染されていないとしたら、確かにこの世界は生きづらいだろう。だから仲間を求めようとした。
聞け、と俺は振り返り、声を張り上げた。
「神に祈りを捧げてなんになる? 時間の無駄だ。神は俺たちを救った? バカを言え、従い、動いたのは俺たち人間だ」
神は、無能だ。
謎の規則により、神は自分の世界の諍いには干渉できない決まりとなっている。所詮は、天から見守るだけの存在だ。誰も救わない、救えない。偉そうに、命じるだけ命じて、本当に祈りを捧げた者を助けはしない。
俺はこの世の全てに届くように、今ここに公言した。
「あぁ、俺は神が好きじゃねぇよ!」
奴らが神を振りかざし、俺を悪魔だと嗤うなら。
俺は悪魔であっても構わない。
「それなのに聖剣を持つとは……」
何を勘違いしたか。
感心したようなヒュウガの声を、俺はせせら笑った。
「勘違いするな。別にこの街の奴らのためなんかじゃない」
「じゃあ、誰のため?」
問うたヒュウガの声は、闇に吸い込まれて消えた。
静寂を打ち破るのもまた、ヒュウガ。
「何故、答えない?」
「お前、自称神さんなんだってな」
ヒュウガは素っ頓狂な声を上げた。「自称……!」とショックを受けた様子だ。
俺はヒュウガを睨み、あらゆる憎しみを吐き出すように告げる。
「だから、俺はお前を当てにしていない」
口早に吐き捨て、目を丸くさせるヒュウガに背を向けた。
カツカツと石畳を踏み鳴らす音は、鈍く砂利を蹴飛ばす音になる。
街の外れに、俺の家はある。家と呼ぶには不似合いな、物置のような木の小屋だ。悪魔に与えられる家など、こんな家しかない。
蹴破れそうな木の板を押し、俺は家に入るなり重たいだけの聖剣を放り投げた。ごとりと重たい音を立てて転がる。こんな信仰を強要するようなお飾り、持っているだけで吐き気がする。
寝床となるくたびれた絨毯を広げながら、背後に立っているであろうヒュウガに言う。
「俺がお前にしてやるのは寝床をやるだけだ」
寝るのに必要なのは、寝転べるだけの空間だ。その点、俺の家ほど適するものはないだろう。この家には絨毯と古い剣とナイフ。そして服と金。それ以外、なにもない。
一向に入ってこないので開け放たれた扉を見ると、眉を顰めたヒュウガが突っ立っていた。顔が「こんな家は嫌だ」と言っている。なら出ていけばいいものを。そう思うが、野垂れ死なれては困るのだ。
「なにしてんだ、適当に寝ろよ」
言って、眠気が襲ってきた。大きな欠伸をこらえることなく、俺は絨毯の上に寝そべる。ずいぶん長い間起きていた。もう目を開けてはいられない。
「なるほどな」
聞こえてきたのは、アイツの納得したような、嘲るような声。
なにがなるほどだ。俺は意識を落とそうと努める。
「これで革命など……愚かしい」
床のきしむ音と、耳障りな衣擦れの音が消えた。少し遅れて、寝息が耳につく。
「……んなの、俺が一番知ってるよ」
革命の指導者を嫌い憎む人々と。
神に狂う愚か者を嫌う俺と。
そんな奴らが為す革命など、数時間も経たぬうちに制圧されて終わろう。
――我々は君を軽蔑したりはしない。嘲ったり、罵ったりもしない。いつでも、待っていますよ。
ふとよぎった声に頭を振り、俺は装束のフードを目深にかぶった。
長い夜が始まろうとしていた。
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