二日目
目覚めが悪かったのは、獣の唸るようなひどい声を聞いたからだ。
右腕に重みを感じて目を開くと、そこにいたのはヒュウガだ。青白い顔は月光に光り、いつもの斜に構えたような表情はない。歪んだ凄まじい顔のヒュウガは、口を震わせる。
「あ、つい……みず……っ!」
汗を滲ませ、顔を歪ませ、ヒュウガは仰向けに転がった。声の漏れる呼吸は荒い。おそらく目覚めに聞いた声は、この声だろう。
「助け……死ぬ、しぬ……!」
ずいぶん面倒な野郎だ。カーテンの端からは夕日が差し込んでいた。まだ六時の鐘は鳴っていない。寝不足だというのに、辛い早起きだ。欠伸を堪えることなくして、俺はヒュウガを起こす。触っただけでもわかる。暑い。熱中症か脱水症状か、どちらかだろう。死ぬ恐れもある。本当に面倒な奴だ。
「死ぬなよ、もやし」
皮肉にも暴言にも応じない。これはまずい前兆かもしれない。
本当に、こいつはなれてもやしだ。
「なんで、えあこんがないんだよ……!」
「知るかよ」
そもそもなんだよ、それは。
うなだれるヒュウガは、悪夢にうなされでもしているのか、うわごとのようにぶつぶつとつぶやいている。うるさい奴だ。聖剣の代わりに、使い古した剣を握る。彼の肩を支え、俺は家の裏の井戸へ向かった。
井戸は家の裏にある。小さくて、すぐに枯れてしまいそうな井戸だ。
「死ぬかと思った……」
喉をごくごくと鳴らせてうまそうに水をあおったヒュウガは、口の端の水を拭った。すっかり気分は戻ったらしい。彼は何度も水をあおると、石段にどかっと腰を下ろした。倒れるのが早ければ、復活するのも早い野郎だ。俺は井戸水で口をすすぐ。
時告げの花はその口を開きかけていた。黄色いめしべが覗かせている。朝日を受けた市街の陰が、こちらまで大きく伸びていた。
ごう、と背後の暗緑の森が唸った。吹き抜けてくる風は肌寒い。俺は折ったシャツの裾を伸ばした。
ふと、目についたのは襟元をパタパタさせるヒュウガの姿。無防備にも喉を晒し、暑いと喚いている。暑ければ脱げばいいのに。だが、彼は断固として首を縦には振らなかった。
「お前の世界は、極寒地帯なのか?」
問うと、ヒュウガは首を傾いだ。
「なぜ?」
「いや、お前、暑さに弱いし」
確かに今は夏の月だ。もちろん暑い。が、耐えきれないほどではないだろう。その程度の暑さに魘され目覚めるとは……彼の住む世界は雪に包まれているのだろうか。
ヒュウガは少し考えこむようにうつむいた。
「極寒地帯というか……寒くなるときはあるが……」
「あるが?」
「エアコンがあるしな。そう困らん」
「えあこん?」
「えと……冷風と熱風を送る、魔法の箱だ」
なるほど、向こうの世界にはそんな便利なものがあるのか。
俺は頷きながら井戸から腰を上げた。
「そりゃ、もやしになるわけだ」
きっと向こうの世界には、神狂いはいなくとも、彼のようなもやしばかりいるのだろう。
「は、もやしだと!」
一呼吸おいて後ろからやってくる怒声に、俺は耳を閉じた。口だけは減らない野郎だ。後ろからの文句を無視しながら、俺は街へ向かう。
「俺を置いていくな!」
口うるさいもやしと共に。
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