一日目

 風が運ぶのはルーザの落ち着いた甘い香り。神殿に吹き抜けると聞こえる轟音は、神の雷のようだ。見下ろすと水色の透明な花弁の花ソリアが、神の輝きを敬うように頭を垂れていた。しかし、どの花も元気がないように思える。


「皆も知る通り、今この街を取り巻いているのは悪法と悪政と悪魔。暴君ギルドラートによって多くの人が血を流し、涙し、苦しい生活を余儀なくされてきた!」


 緑にうずもれた神殿の階段の一番上。声高らかに叫ぶのは、車椅子の乙女、シエラだ。

 集う民の顔を見れば、その言葉が全くの偽りでないと知ることができるだろう。痩せこけた顔、骨ばった手足。なによりも車椅子に乗るシエラの姿が、その言葉の重みを引き立たせていた。


「だが、皆よ、もう恐れることはない! 英雄と主の力の下、あちらの世界より救世主が現れたのだから!」


 その言葉は、本来であれば民を鼓舞させるものとなったことだろう。だが、民から沸き起こるのは拍手でも歓声でもない。

やりにくいのはいつものことだ。そう腹を括って、俺はシエラの言葉を継いだ。


「神の秘術により、聖剣の乙女を召喚することに成功した」


 ざわざわ、騒がしいのは風に揺れる森だけでなく。


「えと……お二方? 私にはその者が乙女には……」


 人々もまた、然り。

 おずおずといったように声を上げたのは、緑の巻き毛と全くやつれた様子のない姿が特徴的な男、オルガンだ。そんな民の様子など、眼中にもないのだろう。ヒュウガはやれやれと肩をすぼめる。


「こんなつまらぬことに時間を割いて……愚かだ。今この間にも我が世界は混沌に満ちようというのに……」


 オルガンに同意だ。俺も、コイツが乙女に決まるなど……いまだに信じられない。

 森の澄んだ空気が沈む。まとわりつくような嫌な風を振り切るように、俺は声を張り上げた。


「神は、この者は乙女に値する清らかさを持つと言った。案ずることはない、案ずる必要もない」

「あぁそうだ。我は大罪ベスティアを宿す者。神を喰らい神となるおと――」

「おい!」


 俺はヒュウガの口元を押さえた。心変わりの速さとこの場でこう豪語するだけの精神は褒めてやりたいが、今は――マズイ。

 案の定、人々の息をつめた声が響いた。誰かの声が飛ぶ前に、俺は集会を切った。


「では、これにて集会を終える。もうすぐ日がくれる。皆、即座に家に戻るように」

「リューク!」


 殺伐とした空気が刺す。そこから逃がれるように、シエラの制止を振り切って俺はヒュウガを掴み階段を駆け下りた。愚民がと喚く彼の声。それよりも鮮明に耳につく、人々の声。


 ――やっぱり……アイツに任せるのは間違いなんだよ。

 ――神を冒涜する者と悪魔……お似合いじゃないか。

 ――あぁ、神は何故このような奴を……。


 聞きたくもない。人波をかき分け、森に飛び込む。


 ――流石、クズはゴミにしかなれないものだな。


 俺は足を止めた。拳が求めたのは、腰の剣。

 だが、聖剣には肉は断てない。

 ぎりりと歯を噛みしめる。


「おい、りゅ――」


 俺は枝葉を踏んずけて歩いた。

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