序章2
聖剣は人の穢れだけを斬ることができる。その身を貫くことはできない。
というわけで、俺は新たな神とやらを眠らせた。神だというからどれだけ強いのかと思ったが、えらくあっさり落ちてくれた。大口を叩いたにもほどがありすぎる。陣を壊しながら中庭から神殿の個室へヒュウガを放り込む。そして神さんに食ってかかった。
「おい、なにしてんだよ金髪クソ野郎! あれが乙女だぁ? ふざけんじゃねぇよ!!」
完全に神さんに喧嘩を売ったのは、出会った以来のことだった。極力避けるようにはしていたが、我慢の限界だ。
そのくらい、現状が恐ろしかった。
透けるような象牙色の肌と、薄墨色の瞳は隣国のものだろうか。だが、その墨塗のような細く短い髪と、同じ色の見慣れぬ装束をまとった姿は、明らかにその国のものではない。幼さを残した面立ちのわりに、世を拗ねたような瞳だけは鋭く切れている。明らかに乙女であるはずがなかった。
「落ち着け、アルマトレバの英雄よ。……私も、現状を理解しかねているのだ」
普段なら俺を叩きのめすのだが、今日はそうはしなかった。それが、逆に怖かった。
神殿から中庭に続く階段に座り込み、神さんは呆然と消えかかった陣を見つめていた。燭台の炎が勢いを弱める。花々草木はやる気をなくしたように頭を垂れている。それを見るまでもなく、神さんの困惑が本心であることが分かった。
俺は神さんを見ていられず、神殿の泉から外を覗いた。小さな湖に浮かぶ小島の上に建てられた、石造りの神殿。幅の狭いゴシック調の窓の外には、泉を取り囲むように大勢の人が群がっていた。不安げにこちらを見つめる者。こそりと、声を隠してなにかを言う者。
そして。
他の誰よりも鋭いまなざしでこちらを見やる、車椅子の乙女。
「クソ……どうしろってんだよ……!」
アイツを救うために、なりたくもなかった聖剣の英雄になったんだ。聖剣を手に、奴――ギルドラートを止めるためにも。なのに……現れたのはバカ? しかも乙女じゃなく、俺と同じくらいの野郎?
……終わりだ。アイツに合わせる顔もない。
「リュークよ」
神さん立ち上がり、真っ白の長衣を引きずってこちらにやってくる。俺を肩書でなく実名で呼んだということは、どうやら召喚の儀は終わったようだ。つまり、神さんの中で整理がついたということ。
あのヒュウガって野郎について。
「……どうするんだよ」
「いろいろ、考えてな。決めたのだ」
視線を俺に戻し、神さんはいつものように荘厳な声で告げた。
「あの男を、聖剣の厨二病にする」
その声は静かな神殿に響いていて。
至って、冷静な口調だったが。
「はぁぁあああ!?」
数秒後には、俺の声にかき消されていた。
聖剣の乙女には、穢れに触れぬ乙女がふさわしいとされる。
――そう、「ふさわしい」のだ。穢れに触れたことがなく、無垢であれば、別に年齢も性別も問わない。
とはいえ……あの野郎が、聖剣の乙女?
「忘れたと言わさんぞ。すべての元凶は、お前なのだからな」
文句を言う前に先手を打たれ、俺は閉口せざるを得なくなる。
忘れるわけがない。俺自身も、後悔しているというのに。
召喚では、すべての力が戻ってはいない神に力を捧げる必要がある。その力――霊力を捧げる者が、初めて聖剣を手にした人間、すなわち英雄だった。全ては、その英雄の霊力に依存するのだ。
俺が、この剣さえ盗まなければ。
「それに、もう後戻りはできん。お前も、分かっているだろう」
伏し目がちにそう言った神さんの顔色は青かった。もともと、神さんは具合が悪かった。というより、力が失われかけているのだ。この儀式は、人間に施せる最後の恩恵だった。
でも、と俺は頭をかきむしった。
「あの野郎に乙女が務まるか? 清らかで無垢な、だぞ?」
あちらの世界がどうかは知らないが、一回は穢れに染まることくらいあるだろう。それに確かあの野郎、神を喰らうとか神になるとか言っていたはずだ。清らかとも無垢とも、どう考えてもかけ離れている。
「それが、厨二病というものの特徴だ。あやつはある意味純粋無垢。その思考にはかっこよくなりたい、注目されたい、という願いしかない」
「子供かよ」
「まぁ、あちらの世界では子供だな」
「あの大きさで!?」
信じられない。ということは……。
「俺、子守りもしねぇといけねぇの!?」
神さんは耳を押さえ、煩わしそうに目を細めた。
「大声を出さずとも聞こえる。……あまり疲れさせるな。私も、お前も」
「……うっせぇよ」
「何度も言うが、お前のせいなのだからな」
神は罪というものを忘れさせてはくれない。
対岸と神殿とを繋ぐ幾段もの階段の頂上、民に見守られながらも、毅然とした顔でこちらを見るアイツ。薄緑の艶めいた長髪を風になびかせてこちらを見るまなざしは、断固とした意志がありながらも一抹の不安が隠れている。その体を支えるのは、草編みの車椅子。
――この罪は、贖わねばならない。
俺は神さんに背を向けた。
「ん、どこへ行く」
「アイツんとこ」
よし、と俺は頬を叩き、気合を入れる。腹をくくるしかないのだ。蝙蝠をモチーフとした、趣味の悪い紋章旗を通り過ぎ、俺はヒュウガを放り込んだ部屋へ向かう。
突如、響いたのは絶叫。ヒュウガを放り込んだ部屋からだ。なにかあったのか。不安を覚え、扉を一息に開き、
「あぁ! やめろ、今その力を解放すれば、右腕はおろか全身が吹き飛んでしまう!! カルマンド! 静まるのだ、我が大罪――」
そして、静かに閉めた。
右手を抱え、のけぞった姿。虚空に吠える、その光に満ちた顔。
遅れてやってきた神さんが俺の肩に手を置いた。
「神さん、俺……」
神さんは無言で首を振った。俺は柱にもたれ、目を閉じる。
「鎮まるんだぁぁああああ……」
……無理だ。
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