第2章 生贄の乙女(7)

 寒々しい風が、全員の間を吹き抜けたようだった。こんな人口密集地なのにも関わらず、空気が張りつめて痛い。誰か、これを切り裂く勇気のあるやつはいないのか。

 階下で騒ぐ陽気な声が、なかなかに空々しい。


「いい? ジェイ。これは決定事項なの。お父さまとお母さまが不在の間に、村の誰も欠けさせない。民を守る。それが領主である我がル・ファイム家の者がなすべきこと。もう一度言うわ。アニスタに代わって私が行きます」


 いいわね、と最後に彼女は周りの男たちに視線を送りながら言った。覚悟をもった言葉には誰も言い返せないようだ。……透以外は。


「やっぱりさぁ、そういうのダメだと思うんだよねー」


 ぴくっと彼女のこめかみが動いた。


「あら、お客さま? この辺りでは見かけない子ね。……それで? 何がダメなのかな」


 俺の隣で同じように寄りかかっていた壁から、ぴょんと跳ねるように離れると、頭の後ろで両手を組んだまま、透はゆっくり歩きだした。ジェイとその姉さんの間に割って入るような位置までいくと、ジェイの悲しそうな顔と勝気そうなその姉さんの顔の両方を見比べるように交互に見た。


「おい、透」


「しっ」


 止めようとした俺に透は自分の唇に人差し指をあてて、黙っててと合図した。本当に厄介ごとに首を突っ込みたがるやつだ。また余計なこと言わなきゃいいけど。


「あのね、それ、さっきジェイさんにも訊いたんだけど、『誰も欠けさせてはならない』って言いながら、お姉さんは欠けてもいいのかな?」


「え?」


 綺麗な翡翠の瞳が丸く見開かれた。


「うん、だからね、この村を形成するのはここにいる皆だと思うんだけど、その中の一人であるお姉さんは、いなくなってもいいのかってこと」


 ね? とジェイを振り返る。


「いいわけないです!」

「そ、そうだ、このぼんが言う通りですぜ」

「お嬢がいなくなるなんていけません!」

「お嬢はこの村の宝ですっ」


 はっとしたような顔で、勢いよく立ち上がり、男たちは口々に自分の意見を口にした。一致団結とはまさにこんな感じ。


「静かになさい!」


 ざわざわとし始めた空気を断ち切ろうと、ジェイの姉さんが制止の声を上げた。だがジェイは言うことを聞かなかった。


「お父さまは出かける前、僕にも命じられたんですよ。自分たちがいない間、分け隔てなくこの村のすべての人々を守るように、と。姉さんは領主であるうちを除外していますが、お父さまが言われたのはすべて。僕は、僕や姉さんもこの中に入るのだと思いますっ」


 はぁはぁと息が切れるほど一気に捲したてたジェイは、睨むような、縋るような目で自分の姉を見た。


「……それは……違うわよ、ジェイ。何の取りえもない私たち姉弟がこうやって、村の人々にちやほやしてもらえるのは何故かわかる? 私たちのことが無条件で大好きだから? いいえ。……まぁ多少は人となりで好いてくれる者がいてくれたら嬉しいんだけど」


 真っすぐに弟の目を見て、ジェイの姉さんはその綺麗な顔に確固たる意志を表した。


「領主は国と民を繋ぐもの。そして民を守るもの。有事の際にはその身をもって民を守る盾となるべきなのよ。その役割を果たすことを知っているからこそ、私たちに敬意をもって接してくれるの」


「お、お嬢……」

「うっ、ご、ご自分のことを盾だなんて……」


 そんな風に思っていらしたなんて、と言いながら鼻をすするむさ苦しいおっさんが一人、二人……。部屋の中はおっさんのむせび泣く声が充満して、なんとなくじっとり暑苦しくなった。しかしまぁ、このジェイの姉さんの特筆すべきことは、美人ということだけじゃないということか。さっきの台詞、どこかの政治家に聞かせたい言葉だったな。


「いいのよ、本当のことだもの。私たちにはそれぞれに課せられた役割がある。ただそれだけよ」


 顔を伏せて泣いているおっさんを見回すジェイの姉さんの表情は、何を今さらと言わんばかりだった。


「……姉さん……僕」


「やっと理解してくれた? ジェイ。……それで聞きたいんだけど、センドランド様は術を」


 ジェイがふるふると顔を左右に振る。


「そう……使われなかったのね。ではあの月は」


「ほら……僕の言った通りでしょう。きっと姉さんを説得するのは無理だって!」


 噛み合わないセリフの応酬に、俺は理解できなかったが、むせび泣くおっさんどもはそうじゃなかったらしい。口々に「お嬢! すまねぇ」「お許しを」とかなんとか言いながら、ジェイが叫んだ直後に一斉にジェイの姉さんに飛びかかった。


「きゃあ!!」


 何を、までは聞こえた気がしたが、あっという間にもみくちゃにされたジェイの姉さんは、おっさんどもに布でぐるぐる巻きにされ、顔だけ出た海苔巻きみたいになった。


「うわ~。これじゃ身動き取れないな」


 思わず俺も声が漏れる。


「ちょっと!! あなた達!! なんなの!」


 怒りに燃えるジェイの姉さんは顔を真っ赤にして叫んだ。汗ばんで額に張り付いた銀の髪を、手の甲で拭うようにし、ジェイはふっと笑った。


「実力行使です、姉さん」


 睨みつける姉の視線を、弟は微笑みで返した。


「こんなことして……余計に困難になるだけよ」


「いいえ、姉さん。それは違います」


「なにが違うの? 儀式は間近、明日なのよ? ……まさかジェイ、あなたアニスタを」


 本来の犠牲者の名前を口にして、ジェイの姉さんは息を飲んだ。ジェイは微笑んだまま首を振る。


「なんの策もないのに、僕が姉さんに叱られるようなことをするわけがないじゃないですか。紹介が遅くなりました。姉さん、こちらのお二人は、センドランド婆様の召喚魔法『希望の扉』にてこちらにお招きした、僕たちの望みを叶えてくださる方たちです」


 言って、ジェイは両手を広げて、俺と透とを自分の姉に紹介した。急に話を振られたので、俺はつい壁際であたふたとしてしまった。


「祥くん、落ち着きなよ」


 ぷぷっと笑う透。うっさい。

 口をぽかんと開けたジェイの姉さんが、視線だけで俺と透を交互に見比べた。

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