第2章 生贄の乙女(6)
「若さま、もしやこの方々が」
なんだか知らないが、結局体中どこをみても傷らしい傷はなく、ただ服だけがあいつの爪の痕を残している状態だった。だけど、体には血の跡が付いていて、出血したのは間違いない。回復するスピードが元の世界にいた頃とは段違いに早くなったのかも、と透は呟いていた。
結局俺たちは今、最初の部屋に再び通されていた。そこに集まった男達の一人、俺に肩を貸してくれた人が体格に似合わずおずおずと訊いてきた。
「ええ、そうです。ここにいるお二人が、あちらの世界から来ていただいた、姉さんを助けてくださる方々です」
ジェイが誇らしげに言うなり、歓喜の声があがった。
「やりましたね! 若さま!」
ばんばんと肩を叩かれて痛そうなのに、ジェイは満面の笑みでそれに応えていた。
男たちは俺と透のところへも代わる代わるに来て、口々にお礼を言った。
「まだなんにもしてないんだけど」
「我らがお嬢のためにひと肌脱いでくれるってだけで、ありがたくってありがたくって」
面食らって言った俺に、男たちの一人がそう言って涙ぐんでいた。実は最初に部屋の中を見た時、いたのが俺よりはるかに年上ばかりで、俺たちが子どもだということになにか言われるのかもしれないと思っていたから、心底驚いた。
「話があります」
ひとしきり歓喜の声で満たされた部屋に、ジェイの透き通った声が響いた。その場にいた全員がジェイを見る。
「この場にセンドランド様がいらっしゃらないことは気づいていますよね」
しんと静まった部屋、男たちが無言で頷く。
「まさか」
そのうちの一人が言った。ジェイが眉を寄せ、美しい顔を苦し気にゆがめる。
「お二方がこの地に到着されたすぐ後、やつらがセンドランド様の洞窟へやってきたのです。センドランド様は私たち三人に先に行くように促され、ご自分はその場に残られました。そして」
ジェイが目を閉じた。
「若さま…?」
「……私たちが洞窟を抜けた時、突然轟音が響き渡り……粉塵が収まってみると、センドランド様の洞窟が破壊されていました」
一斉にどよめきがおきた。
「なんてことだ……!」
「では、センドランド様は」
ジェイが思い切り首を振った。
「確認したわけではありません! だから、希望は捨てません!」
あまりにも悲痛な声だった。
「……センドランド様は稀代の魔術師。きっと大丈夫ですよ」
「おう! そうだ、そうだ。若さま、きっと若さまの言う通りです。俺たちみんなであの婆さんが帰ってくるって信じましょうぜ」
ジェイを気遣う人々の優しさが、言葉に滲んでいるようだった。俺と透は一部始終を、まるで映画かドラマを観るように鑑賞していた。(要するに、口を挟む余地もないから黙って突っ立っていた)
「ではとりあえずは、センドランド様抜きでこの後の作戦を進めるということですか」
「そうなりますね。あ、もうひとつ皆に話しておくことがあります。実はこのお二人、」
ジェイが何やら俺たちについて語ろうとした時、廊下が凄く騒がしくなった。ジェイも、男たちの視線も何事かと廊下に続く扉に注がれる。ついでに俺と透のも。
バーン!!
高らかな音をたてて開かれた扉は、廊下にいた見張り役の男達をごろごろと吐き出した。
「若、すんません、あの」
そのうちの一人が、床に這いつくばった格好のまま、ジェイに視線を向けて言った。
「お前たち」
ジェイがその顔を見るなりハッと目を見開いた。
「ということは」
ごくり、と喉を鳴らす音が俺の耳にまで聞こえるほどに、ジェイは狼狽えているようだった。
「はーなしなさいっ! ってば!」
涼やかな凛とした声。誰だ、と思う暇なく、声の主は沢山の人を文字通り引き連れて、部屋になだれ込んできた。この部屋、いよいよ人口密度が半端なくなってきたな。
声の主である彼女を見た瞬間、俺は息を吸うのを忘れた。
「いたわね、ジェイ!!」
ジェイの髪よりももっと細く、長い金の髪。つやつやすぎて光っている。白い肌にさくらんぼみたいな色の両の頬、翡翠の瞳。
「うわ、すごい美人さん」
透も認める美人が、床に転がる男達を踏みつけそうな勢いでこちらに二、三歩進むと、きっとジェイを睨みつけた。
「や、やあ……ね、姉さん」
姉さん!?
どこから声を出しているんだと聞きたいくらいに、ジェイの声は最初うわずり、その顔はぴくぴくと引きつっていた。
「祥くん、息、忘れてるよ」
お、おう。忘れていました。
「美人だね~」
透がにやりと俺を見る。うるさい。
「ちょ、ちょっとな」
「なーにそれ。あ、ドストライクね」
透は言いながら更ににやにやした。ファンタジー映画によく出てくる美しいエルフも真っ青のジェイの姉さんは、確かにめちゃくちゃに美人だった。(俺の語彙力の問題で、めちゃくちゃ美人としか例えられないのが残念だ)
「あんた…また余計なことしてくれたらしいわね」
彼女の声は、第一声より少しばかり低かった。握りしめた両方の手がふるふると微かに震えて見えた。
察するに、ジェイがなにかやらかしたらしい。美人が怒ると、なんだか別の凄みがあるって本当だったんだな。俺がターゲットでもないのに、なぜかごくりと唾を飲み込む。
「今度ばかりは言わせてもらうわ。私を救うだなんて、そんな小さなことにあの召喚の魔法を使う? どこまで馬鹿なの」
「小さいことなんかじゃない!」
ジェイがすぐさま反論した。綺麗すぎる姉弟の口論に割って入る勇気のあるやつは、俺も含めてここにはいないようだ。床に倒れた数人の男達はいまだにそのまま床に伏せている。きっと顔があげづらいんだろう、うん。
「小さいことよ!」
ぴしゃり、と彼女は言い捨てた。
「いい? あの魔法はね、何度もほいほい使えるものじゃないのよ? 術者の生涯にほんのひと握り、そうセンドランド様がおっしゃってたんだから」
俺と透が呼び出された、あの召喚の魔法を安易に使うな、と怒っているのか。
「分かっています! でも、僕には小さくなんかない。姉さんがこの世からいなくなるなんて、小さいことじゃない!」
一瞬、顔をゆがめたかと思うと、ジェイの瞳からぽろぽろと透き通ったガラスのような涙が、きらきらと頬を伝い、使い古された床に落ちていく。
「お、お嬢、そうですぜ。お嬢はこの村の宝で」
その場に大勢いた男たちの中から、勇気をだした一人がようやく口をだした。だが。
「おだまりなさい!」
一喝された。
「今はお父様もお母さまもいらっしゃらない。この場合、村に何かあればこの私が対処するのは当然です。お父様に一任されていますからね。だから私の下したこの決定は、ここを治める領主の決定です。如何なる反論も認めません」
ジェイの姉さんは、ほれぼれするほど凛として、言い放った。
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