第2章 生贄の乙女(5)

 村へ入るとすぐ目に入ったのは、思っていたより広い通りだった。左右に一階や二階建ての家々が並んでいて、ここが村の大通りだとジェイが説明してくれた。真っすぐ歩いていくと、突き当たった奥に周りの家とは明らかに違う、大きな二階建ての建物があった。一階は酒場のようで、あちこちに下げられたオレンジのランプの炎がまぶしい。ジェイは躊躇せずに俺たちを中へと連れて入っていった。


「若さま? お戻りですか!」


 入口付近に立っていたガタいのいいおっさんと小柄な青年の二人が、傷ついた俺に肩を貸すジェイを見つけるなり、飛んできた。


「こちらの方々は……お怪我を?」


「ええ、来る途中で狼に、早くジェンキン先生を! 詳しいことは上で」


 短い答えに、おっさんはジェイと代わって、俺に肩を貸してくれた。もう一人は勢いよく外へ飛び出し、俺たちはそのまま店の奥へと楽し気に飲んでいる客の中を進んでいく。


 ランプの明かりに顔をてかてかさせた客たちは、ジェイの顔を見るなり口々に声をかけてきた。子どもなのに酒場に出入りするのはいいのだろうか。そんな俺の心配をよそに、ジェイはかけられる声に頷きながら、二階へと階段を上り始めた。


 二階は両サイドに向き合うようにドアが幾つかあった。もしかしたら宿屋も兼ねているのかもしれない。ジェイはその中のひとつのドアを叩いた。


 ドアを開けると、そこには所狭しと男どもがいた。見るからに屈強と思えるやつも数人。入ってきたのがジェイだと分かった瞬間に、そいつらは口々にねぎらいの言葉をかけてきた。そして、そいつらが俺らに気づき、詳しいことを聞こうとしたとき、ジェイは彼らの声を手を挙げて制した。


「まずこの方の治療が先です。ジェンキン先生はまだですか」


 そうして、俺は一斉におっさんの視線を浴びることとなった。怖い。


 ぎゅうぎゅう詰めの部屋では診察できないだろうということで、すぐに別室に通された俺はベッドに座って医者を待つことになった。透は心配しているのか、俺から離れない。じーっと、怪我して血塗れになった服をまるで透視でもしているかのように見つめている。焦げる。視線で焦げる。


「なんだよ、透。心配してるのか?」


 俺がにやにやしながら言うと、透はふいっと横を向いた。


「当たり前でしょ。祥くんに何かあったら、僕、祥くんのお母さんになんといってお詫びしたらいいのさ」


「なんでお前が詫びるんだよ」


 思わずぶふっと笑ってしまった。こいつは、俺の保護者にでもなったつもりだったのか。


「連れてきましたっ」


 ドアが開き、勢いよくあの小柄な青年が入ってきて言うと、そのあとから黒っぽい鞄を抱えた初老の男が、半ば転がるようにして部屋に入ってきた。見ると開いたドアの外には部屋の中にいた男達が廊下に出てきているようで、今度は廊下が満員状態。


「お、おう、そんなに押さなくても……あぁ、患者は君かね?」


 ギャグの仕込みのような分厚いビン底丸メガネをかけた男は、この村の唯一の医者だそうな。その割には扱いが……。


 医者は鞄をベッドの横にある小さなサイドテーブルの上に乗せ、丸椅子に腰を掛けた。そのままじーっと、俺を見る。


「ふむ、狼にやられたと聞いたが、見たところ顔色はそんなに悪くはないのう」


 お、確かに。目の前の壁に掛けられた鏡にちらっと視線をやる。


「じゃあ、傷を見せてもらおうか」


 俺は頷いてゆっくりとシャツのボタンを外し、巨大狼に傷つけられた肩をメガネの医者の眼前にさらした。すると医者は俺の肩に顔を近づけ、まじまじと傷を見始めた。


 近い。顔が近い。


「で、どこをやられたと」


 さらけだした傷に顔を近づけたまま、メガネに手をやった医者が言う。


「いや、今見てると思うけど」


 俺が答えると、医者はうーんと唸りながら、また暫く乾いた血の付いた俺の体をまじまじと見、挙句上着を全部脱がせて背中まで見せるように促した。


 そうして見るだけで一向に治療が始まらないことに透とジェイが痺れを切らした。


「早く手当てしてほしいんだけど」


「先生、早く治療を始めてください」


 同様の内容の台詞に、しかし医者は腕を組んで首を傾げた。


「そりゃー無理だわい」


「どうしてです?!」


 ジェイの顔からさっと血の気が引いた。


「そんなに重傷……?」


 泣きそうな呟き声を透が漏らす。いや、ちょっと待って。実をいうと俺はもうそんなに痛くなくなっていて……俺、手当も無駄になるほどの重傷だったのか?!


 と、突然、かーっかっかっか、と水戸のご隠居並みの高らかな笑い声が部屋にあがった。メガネの医者が、もう耐えられんとばかりに大笑いしていた。


「せ、先生?」


「いやーっはっはっ、すまん、すまん。なんの、反応が面白うてな」


 目に涙をうっすら浮かべた医者が、俺をチラッと見ながら言った。


「わしが治せるような傷なんて、この青年の体のどこにもないんじゃよ」


「え?」


「良いか? 見たところ一切のひっかき傷もない、すべすべのお肌じゃ!」


 言うなり、はーはっはっはとまた高らかに笑った。


 なに? 傷がない?? 


 そんなわけない。確かにあの超デカい狼のぶっとい前脚は俺の肩を押さえつけ、その大きい爪はこの体に食い込んで肉を裂いた。その感触がまだ残ってる。


「傷がないって、そんなこと、そうここ、ここだ、あいつにやられたところ! ここをがしっと押さえつけられて……え」


 急いで怪我したところを手で触ってみると、ない。

 さっきまであいつの爪で引き裂かれていた痛々しい痕が、俺の手にどうしても触れなかった。


 呆然としていると、我に返った透とジェイが、俺の体をくまなく見まわし、ぺたぺたと撫で繰り回し、二人で顔を見合わせると、同時にもう一つのベッドに倒れこんだ。


「えっと?」


 透がぴょこっと跳ね起き、俺に向かってひと言。


「祥くんの…変態」


 おい、待て。

 それはとても語弊がある言い方だと思うぞ!

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