第1章 洞窟の魔術師(5)

 ゼーゼー言いながら俺が二人に追いついた時、透とジェイはそこから見える光景に食い入るように見入っていた。な、なるほど、ここは切り立った崖の上か。よく狼が月夜にあお~んって吠えるようなとこだな。緩やかに登る形になっていた。


「ど、どうした」

「あれ」


 俺に気づいた透が指を指す。薄暗くなり始めた景色の中、目を向けると、そこには同じような山があった。ここから丁度真向かいにあるその山の裾から中腹まで、ぽつぽつとした明かりがずらっと続いているのが見える。


「なんだ、あれ……ライト?」

「は?」


 おい、呆れた顔で俺を見るな。


「まさか……あんな数の兵士が……」


 ジェイが息を飲むのが分かった。兵士って?


「兵士なの? あの明かりが一人ずつだとしてもかなりの数だね」


 ジェイは視線をそのまま動かさずに答えた。


「ええ、おそらく兵士で間違いありません。そして、あの兵士たちがいるのは、センドランド様の洞窟です」


 乾いた声がそう説明した。

 うん、なんだそれ。そんなに歩いたのか? あ~そうか、だからこんなにきついんだなー。

 ……って、いやいや。俺は自分に突っ込んだ。そんな訳ないじゃないか。あそこからここまで、どれだけの距離があると思ってるんだよ。ここは、向かいの、山! 下には川みたいだし、土地が分断されているようにしか見えないのに、そもそもどうやって繋がっていたと? 物理的に不可能なのは、俺にだって分かるぜ。


「なんかまた色々くだらないこと考えてるでしょ、祥くん」


 透が俺をちらりと見た。


「くだらないだと? だっておかしいじゃないか、ここは対岸だぜ。明らかにあっちと繋がれない形でおまけにめちゃくちゃ距離あんのに、どうやってこの短い時間で俺たちが移動したっていうんだよ」


 くだらないことかどうかはさておき、なんだか見透かされていて癪に障った俺は、ひと息でそう言った。


「それは多分、あのお婆さんが通路に術かなにか、仕掛けをしていたんじゃないの。僕らをあんな扉ひとつでこの世界に連れてきちゃうくらいだよ。そういうのだって簡単に出来るよ」


 くっ……! 

 透がごもっともなご意見を述べていたその時、正面が一瞬明るくなった。間髪入れずに轟音が辺りに響き渡る。


「なっ?!」


 数瞬遅れて爆風が襲いかかる。


「うわっ」


 思わず顔を背け、腕で自分と透をガードした。風と共にバチバチと何かが身体中に無数に当たった。なんだ、砂か? めちゃくちゃ痛い!


「透! 大丈夫か!」


 風が弱まり、暫くして顔をあげると、辺りは膜がかかっているようにぼやけていた。そのうちクリアになってきて……。


「う、うん、だいじょぶ。げほっ」


 砂が口に入ったのか、咳き込む透の背中をさする。

 俺は息を飲んだ。

 目の前の山が、つい先ほどまでとはまったく違う姿になっていた。あの婆さんの洞窟だといっていた辺りが特にひどく、暗がりの中でもそこだけ更に暗くて、かなりえぐられているように見えた。あれ、空洞か? それを見たジェイが真っ青な顔でよろめきながら、下に落ちるんじゃないかと思う崖のギリギリまでよたよたしながら歩いていった。

 あれだけずらりと並んでいたぽつぽつとした明かりも、裾野の方だけにチラっとしか見えないし、その少なくなった明かりが今は右に左にちょこまかと忙しく動いていた。


「そ、そん…」


 そんな、と言いたかったのかな。両手で顔を押さえ、ジェイは座り込んでいた。咳が落ち着いたのか、透が俺のさする手をそっと止めてふらりと立ち上がった。


「この爆発が作戦かどうかジェイさんも知らないんだね…」


 言いながら、透がショックで固まっているジェイに、そっと寄り添う。


「でも、あのお婆さん、僕たちをこんな異世界に連れてこられるくらいなんだもん、凄い魔術師なんだよね。だからこれもなにかの作戦で、きっと大丈夫だと思うんだ」


 その言葉にジェイは顔をあげ透を見た。


「もう日も暮れるし、あの兵士たちの目的も分からない。このままここで夜を明かすのもちょっと寒そうだし…この後、どうする予定だったか教えてもらえない?」


 透の優しい口調に、ジェイも頷きながら答えた。


「えぇ、そう、そうですね。センドランド婆様はこの国建国以来の魔術師、きっと何かの作戦、大丈夫ですよね」


 では、と悪い考えも一緒に払い落とすかのように、ジェイは立ち上がった。

 なんでも婆さんと合流する約束の場所があったらしく、何も分からない以上、予定通りとにかくそこに行くことになった。そこへはまたもや暫く歩かなければならず、まったく今日はよく歩かされる日だ。

 暗闇が周りから侵食し、このままこの山と共に俺達の身体も包んで、目的地にも着けなくなるかと思いきや、陽が沈んですぐに昇ってきた月?がその代わりに足元を照らしてくれた。

 その月?を見て俺はここが異世界なんだと思い知った。夜空に浮かぶそれはっ! 綺麗な青だったんだよ! 青と普通に表現していいのかどうかもわかんないけど、ライトブルーが地面に降り注いで明るいったらない。空を見上げたジェイがやはりと呟いた。やはりってなに。


「うわぁ。こっちの月って綺麗な青いお月さまなんだね」


 見上げた透がふふっと笑った。


「綺麗ですね。私も初めて見ました」

「は? その年で? いや何歳か知らないけど、自分の世界の月も見たことないのか?」


 ジェイはしっかりと月をその目に捉えながら言った。


「もちろん月を見るのは初めてじゃありません。でも、この色の月を見るのは生まれて初めてです。……それから僕は14歳です」


 なんだか謎謎のような台詞。そして14歳、俺のいっこ下。うそー。


「月がその身に勇者の色を纏わせたとき、それは勇者がこの地に帰った報せ……」


 ジェイが俺を見た。


「勇者の色、すなわちこの月の色は、ショウさん、貴方の色です。月がこの色になるということは、やっぱりショウさんが勇者なのですね」


 はあ?!

 この月が青いのが、俺のせい?!

 いやいやいやいや。

 今日何度目かの左右に首振りを、俺は今日一番に勢いよくやった。


「異世界へと繋がる希望の扉を開けることができるのは、この世界にセンドランド婆様ともう一人だけ。もう一人はセンドランド婆様のお師匠様と伺いましたが、その行方は誰も知らないそうです。そういうわけで実質あの術を使えるのは婆様おひとり。そして今日、その招きに応じられたのはショウさんとトオルさんの二人です。私にはショウさんが本当に勇者なのか分かりませんが、この月は、昨日までこの色ではありませんでした」

「じゃあそれ、今日生まれた赤ちゃんってこともあるね」


 透が笑いながら言った。


「確かに一理ありますね。ですが」


 ジェイもふっと笑った。


「あ、ここです」


 話ながらだったせいか唐突に着いたそこは、大きな木々の間に、同じように大きな岩がひとつだけあるところだった。この岩の後ろに隠された小さな空間があり、ここにあると知らなければなかなか見つけられない仕様になっていた。ということで、ここもあの婆さんが作ったらしい。中に入ると入ってきた入口が天窓みたいになって、青い月のおかげで、暗くてお互いが見えないということもなかった。顔色は悪くしか見えないけど。

 広くはないが、俺達三人横になっても窮屈ではない。可もなく不可もない。とりあえずあり得ないほど歩かされた俺には、足が伸ばせるだけで嬉しかった。


「ですが、残念ながら勇者はこの世界で生まれません。希望の扉と呼ばれる術を使ってこの世界に帰ってくる、そう伝わっています。今日、センドランド婆様が使った術でこちらに来られたのはあなた方二人だけ。この月は、あなた方が本物であるということの追加の証明。……厄介なことに、この世界の隅々にまで勇者が帰ったと知れ渡ることにもなりましたが」


 ジェイが言った言葉を思い返す。

 あの扉を使って人を呼び出せるのはあの婆さんともう一人。そのもう一人が今日同じように誰かを招いていない限り、この月が青くなったのは俺たちのせい、か。

 色々と聞きたいこともあったんだが、疲れ切ったジェイを見ると問い詰めることもできず、とにかく三人ともその後ひと言も話さないまま、静かに婆さんが来るのを待った。

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