第1章 洞窟の魔術師(4)
ジェイは躊躇いながらも頷き、では、と短く言うと暗い壁の内側へと入っていった。喜んでついていく透を掴み損ねて、最後に俺が残った。
まったく透はなんでそう疑わずにほいほいついていくんだよ。結局のところここがどこだとか、そもそもこいつらは何者なのか、確認することいっぱいあるのに。どこまでも純粋すぎてびっくりするぜ。ともかく保護者としては、あいつを一人にすることもできない。
開いた壁に手をかけ、透を追いかけなきゃと足を踏み出そうとして、俺はくるりと振り向いた。
「あのさ、とりあえずあいつ追いかけなきゃいけないから行くけど、俺は今までの話もあんたたちも、全然信用してないから」
視線の先にいたセンドランドは、俺をじっと見て頷いた。
「分かっておるよ。勇者だけでもそうでなくては」
くくっと喉を鳴らし、そして続けた。
「ここを出て、しっかりとこの世界を見るが良い。信用するのはその後で十分じゃ」
ガラン、ガラン。
また金属音が鳴った。
「さぁ、早く追いかけろ」
ぐいぐいと壁の先へ押され、俺はよたつきながら中へ入った。
「なにがあっても振り返るな。先に進むのじゃ。よいな、この世界を魔王に渡してはならんぞ」
「は、なに? 魔王??」
それ! 聞いたらまた透が大喜びしそうじゃないの。
俺は心底、ここに透がいないことにホッとした。さっさと家に連れて帰るのに支障にしかならない言葉じゃねぇか。
ガコン、と開いたときと同じ音をたて、俺を吐き出した壁がその口を閉じた。途端、僅かな光も無くなって、真っ暗。なんにも見えない。うそーん!
「まじかよ……おい、婆さん! 明かりくらい!」
後ろに話しかけても、既に壁でしかなく。
仕方ない。手探りででも先に進まなきゃ。
「ったく、透はどこまで行ったんだよ」
手を伸ばして壁を探す。ひんやりとして少し湿っていたそれは、すぐに見つかった。足元は割と平坦のようで、何かに躓くということはなかった。あの仕様からすると、正規の出入り口ではなく、抜け道のようだったけど。
闇の中、ぼぼっという音がしたかと思うと、突然目の前が明るくなった。
「おお」
見ると、壁に等間隔で松明みたいな明かりが灯されていた。電気やガスが通っているようでもないのに、一体どうやって点いたんだ? ま、これで追いかけやすくはなったけど。
ぐるりと見まわして、とりあえずは横道のない1本道だったので、俺は急いで透を追いかけることにした。
走っていくと、ほどなくしてぼんやりと光る二人を見つけた。小さな松明のようなものが、ジェイの手に握られている。自分たちだけ明かりを持ってたってことか?
俺の足音に振り返った透が、おーいと手を振ってきた。いやはや、暢気だね。俺はそのまま二人に追いつき、透に説教をしようとした。
「はぁ、はぁ……おま、え……」
いかん、受験生ゆえに運動不足だ。息が切れてうまく言葉がでない。
「うん、ごめんね。先に行っちゃって」
あら、なんだ、素直じゃないか。
しかし、透は次の言葉を紡ぐ。
「祥くん、一人で怖かったでしょ。ごめんね、待っていたら良かったね」
そっちかよ!!
「でも途中で明るくなったでしょ。ここの明かり、さっきジェイさんが見つけてくれたんだよ」
透の指が指す方向にあるものなんて、俺にはどうでもよかった。そりゃ、真っ暗から見えるようになったのは有難かったけどね。
「そうじゃなくて。お前、のこのこ着いて行っちゃだめだろ」
こいつらから聞いた話は荒唐無稽すぎて、信用なんてできるレベルじゃない。扉を開けたらそこは異世界でしたって、お前それは「雪国」かよ。
「祥くんはまだ疑ってるんだ」
「当たり前だろ。今までのどこに疑わなくていいとこがあったんだよ」
「いっぱいあるよ! ジェイさんがあのコオロギだったし、変身したのこの目で見たんだから。それだけでもここが僕たちのいた世界とは違うってことじゃないの。それとも何? 僕知らないんだけど、世界にはコオロギ人間とか普通にいるの? 僕知らないんだけど!」
透は両手を握りしめて、声を荒げた。そのかなりの食って掛かり方に、俺はびっくりした。なんだよ、なんだってんだ。
「あの」
俺と透の間にいたジェイが、遠慮がちに声をかけてきた。
「なに」
俺は思わずぶっきらぼうに答えた。
「……急にこんなところにお連れしてしまったので、たくさんお話があられるとは思います」
ですが、とジェイは続けた。
「とにかく今は、先に進んでくださいませんか。……実は先ほど鳴った金属音は、あれは来訪者の合図なのです」
来訪者?
「先ほどのそれが誰か、敵か味方かも分からないのですが」
敵?
「敵ってなんだよそれ。俺と透に関係あることか?」
無いよな?
確認の意味を込めて言った。するとジェイはそっと眉根を寄せて、目を伏せがちに答えた。
「もし、あれが敵の来訪を告げるものだとしたら……あなた方が扉を超えてきた者だと知れば、間違いなくお二人を狙うはずです」
「はあ?!」
求めていたものと違う回答に、俺は思わず声を上げた。声が洞窟内に反響する。
「そっか。なら急がなきゃ」
冷静な声が、俺の胸あたりから聞こえた。
さっきまできゃあきゃあ楽しそうだった透の顔にもう笑みはなく、やけに真顔で、その顔のまま俺を見上げて言った。
「一時休戦ね、祥くん」
そう言うと透はすたすたと歩きだした。
うん、俺はお前と戦っていたつもりはないんですけどね?
「このまままっすぐ?」
「あ、はい」
ジェイが慌てて後を着いていく。俺は二、三度頭を左右に振った。
やれやれ。年上は辛いぜ。
そこから少し歩いたところで、洞窟はどんどん狭くなっていき、人一人が通れるかというほどで、とうとう行き止まりになった。先頭にいた透が振り返り、次いでジェイが頷き、さっと左手側の壁を探る。
カチリ、と小さな音がした。がこん、とセンドランド婆さんのいた場所から出る時のように、壁の一部が今度は手前に開いた。
「気をつけてください。外は崖になっています」
そのまま出ようとした透に、慌ててジェイが声をかける。透はこくんと頷いた。
ん? いま、崖……って言った??
透は開いた隙間に身体を滑らせるように吸い込ませた。追いかけてジェイが。ええっと、崖って言ったよな……崖ってなんだよ。
開いた壁からは煌々としたら明かりが入ってくるわけではなかったが、センドランド婆さんのところから出る時のような闇が見えるわけでもなかった。
そこには薄らと夕方の名残のような明かりが差し込んできていて、先に行った二人のように俺もそこに身体をねじ込んだ。
「うっわ!」
ねじ込んだ身体を勢いよく飛び出させていたら、確実に俺はここからダイブ、真っ逆さまに落ちていた。だって、足の踏み場がちょうど30センチほどしかなかったんだもん。眼下に広がる暗闇に俺は思わず息を飲んだ。
「ショウさん、こちらです。気をつけて着いてきてください」
左側からジェイの声が聞こえ、そっちを向くとジェイが身体を壁にくっつけるようにして横移動を始めていた。びゅーびゅーと下から横から生温い風が俺の身体を撫でていく。落ちたら一環の終わりってやつじゃん。慎重に慎重に壁にそって俺はカニ歩きをした。
どのくらいその恐怖を味わっていたのか分からないが、緩やかに登っていっているのは分かっていた。漸く壁の終わりを迎え、俺は広くなったその場に座り込んだ。だが、透とジェイはそんな俺に先を促した。なんでも、ここはまだ危険なんだと。
「洞窟の明かりは消してきましたが、見つかるかもしれませんので」
誰か分からないやつらにでも、追いかけられている、というのは嫌な気持ちというか不安というか、とにかく逃げなければと思わせるもんだぜ。
落ちるかもしれないと思いながら進んだことで、歩いた距離に比例しない疲労を感じていたけど、しょうがないよな。
「はいはい」
言われるがまま、俺は二人の後ろを歩き出した。暗くなりだした山の中を歩くのは、なかなかに歩きづらくて俺は何度も何度も転びそうになった。
「ここ、絶対人が通る道じゃねーだろ。獣道だ、獣道」
俺がぼそぼそひとりごとを呟きながらヨタついて歩いていると、先頭に歩いていた透が「あれ!」と指を指し振り向いた。
後ろのジェイがその方向を見て、声にならない声をあげると、一気に二人して駆け出した。
なんだ、なんだ? 何があったんだ?
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