テレビ放映戦国大名総選挙その48 武田信玄

武田信玄編も長くなりましたが、結びになぜ滅亡した武田家が現代これだけ人気があるのかについて私なりの考察をしたいと思います。


短く言うなら、「伝承と教育です」

山梨では武田信玄は崇拝の対象ですが、その息子の勝頼については最近になるまで地元の評価はむしろ低かったようです。


また、徳川家に仕えた武田家臣も多くいましたが、彼らもまた勝頼を評価したくない感じでした。


それは両方とも勝頼の治世はつらく、しかも負けてしまった経験があったからです。

そして、武田信玄は相対的に理想の君主とされました。


また徳川幕府あるいは家康自身も武田信玄が強いということで、相対的に家康の評価が上がるという機運からそうした旧武田家臣の発言を容認、あるいは歓迎していたようです。


武田信玄の歴史を語る上で甲陽軍鑑という本や信玄を神格化した旧武田系の徳川家臣の存在はとても大きいものでした。


以前、石高の話をしたとき、徳川は約50万石でした。

それが武田家滅亡、織田信長の死によって約150万石になりました。


当然増えた100万石分の家臣が加わったわけですが、その多くが甲斐信濃などの武田家家臣でした。


つまり江戸幕府の家臣の多くは武田家の人間、そして彼らの誇りは武田信玄というわけで徳川時代に武田信玄は大いに名をあげることになります。


しかも徳川家と違ってもう存在しないので勢力が拡大して危険な存在になることもなく、政治を行えないので徳川家の人気が落ちても影響しないという人気の点では安定した存在となりました。


そして、幕末になり徳川が負けましたが信玄信仰は残ります。

そして現代にいたるまで、世の中が変化しようと武田ゆかりの人々は誇りとして心のよりどころとして武田信玄の伝説を子孫に伝えていきました。


これは中国の偉人にもある傾向なのですが、子孫が残っているよりいない方がいろいろな伝説や逸話を作りやすいので後で人気が上がりやすい傾向があります。


大変不思議なのですが、山梨や長野は政治的にはかなり革新勢力の強い地域がありますが、今まで見た通り武田信玄はとても今風の平和主義的な人物ではありません。


しかし、長年の伝統、伝承、教育があったため革新勢力も武田信玄と彼の功績を否定的な意見としては言えない空気だったようです。


今でも日本で絶大な人気を保ち、こうして戦国大名総選挙2位となった武田信玄、皆様はどのように思われたでしょうか。






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