テレビ放映戦国大名総選挙その42 武田信玄
大河ドラマ「武田信玄」は山梨、長野、新潟の3県にとって多大な経済的恩恵を与えてきました。
甲府から長野と新潟に行くという発想は戦国時代に思いをはせることなしではなかなか思いつかないことです。
私も学生のころ、親に連れられて甲府で信玄公祭りを見て、長野でお蕎麦を食べたり、山菜を味わったり温泉に入ったりしました。
名前や記憶はうる覚えですが高遠や松本といったお城にも行きました。
城下町の風景や昔の民家などのレトロな雰囲気満載の味わいでした。
雪があって大変でしたが新潟に行くこともあり、今考えると贅沢な旅行だと思います。
こうした旅行はすべて大河ドラマがきっかけでした。
どんなに個人的な思いが強くても、次の世代に伝えることが出来なければ歴史は途絶えることになります。
また、一度名前が多くの人に伝わればたとえそれが悪名であっても、後に別の見方をもって研究する学者が現れたり、その生き方に感銘を受けたファンが出来るかもしれません。
この点は何度も手を変え品を変えて説明していますが、明智光秀や石田三成、あるいは今川義元氏真親子、吉良上野介など、一時期悪役ややられ役として定着したキャラが、名誉を回復に新しい世代に好意を持って受け入れられた例はもう珍しくありません。
九州戦国大河、あるいは戦国島津を大河ドラマの話をするときに。これは島津をはじめ、主要な勢力だけが持ち上げられる。
と捉えるのではなく、この機会に地元の武将の名を知らしめ、いつか彼らを超える人気を獲得してやる、位の気概を各地域に持ってほしいと心から願っています。
あるいはこれをきっかけに地元の魅力をアピールして戦国武将からファンを取り込んでみせる、これぐらいの野心をもって一連の大河ドラマプロジェクトに参加、協力して欲しいと願います。
私にとって長野は武田と上杉に挟まれながらもしたたかに生き、そして現在もその精神があることで観光や産業の発展をしてきた素晴らしい模範だと思います。
うっかりしていましたが、長野はあの真田家の聖地でもあります。
特に宮崎の皆さま、戦国時代の最後に故郷に帰ってきた伊東家、真田家のように大国に翻弄されながらも最後は生き残ったその生き様、全国に知らしめてみませんか。
もし、そう願うなら、ライバル役は存在感が大きいほどいいでしょう。
なので、島津家に一度は花を持たせてみてはいかがですか。
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