テレビ放映戦国大名総選挙その43 武田信玄

武田信玄ゆかりの山梨、大河ドラマ放映時はロケーションで多くの場所に建物が立ちました。


それは直接大河ドラマで使われる城などのセット、馬や人を使って合戦などを撮影する野原、大河ドラマの記念館など集客のための施設。


そして地元の商工会などが観光客目当てに企画した土産物屋や食事処、温泉などそれこそ多岐にわたっています。


もちろんこれは山梨に限った話ではなく、長野や新潟も当然同じような施設が立つことになります。


想像に難くないでしょうが、地元の期待は大きく、そして費やす費用も莫大なものになります。


以前幾度か説明したように昔の大河ドラマは視聴率が今の2倍から3倍という時期がざらにありました。


とりわけ昭和の末期から平成の初期に起きたバブルの時期はまさに大河ドラマの絶頂期でもあり経済的にイケイケのボーナスタイムでした。


さて、平成に入り少ししてからバブルは崩壊しました。

大河ドラマの視聴率も徐々に低下していきます。


また、武田信玄である意味頂点を見てしまった山梨などはこの後の長き低迷の時代、(いまも続いている)を迎え辛抱の時期が続くことになりました。


さて、突然ですが今東京オリンピックで日本中が議論の最中にあります。

私個人としては、本当に運が悪くいままで誘致に頑張った皆さんは気の毒だと思っています。


しかし、こうしたイベントというのは必ず成功することでも、また経済的にプラスになるとは限らないことも学ぶ機会となりました。


大河ドラマ誘致とオリンピックを同一に考えるような短絡的な考え方はしませんが、この不幸な出発から今日の混乱を招いた軌跡、あるいは過程については大事に学ぶ必要があると思います。


その点で山梨、長野、新潟の自治体や商工会と情報交換して建物の建設、維持、撤去などの点で効率の良い方法を学ぶのは重要かと思います。


もし、九州三国志構想のような物を実現するなら、例えば鹿児島、大分は山梨の自治体や商工会からノウハウを、宮崎や熊本や長崎などは長野から、そして佐賀、大分、福岡などは新潟から学んでみてはどうかと思います。


もちろん学ぶだけでなく協力も必要です。

もし、将来今回紹介した甲信越の三県が大河ドラマの舞台になったら以前の交流のよしみで応援するといったことをして互いに有益な関係を築くことが大事だと思います。


実は武田信玄が中国古代の兵法を学びながら、あまりうまくいかなかった方法というのがあります。

次はその点に触れつつ、この話の延長線上の話をしたいと思います。










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