ツイッター島津4兄弟総選挙その9
島津家久にとって最後のおおいくさ、戸次川の戦い(へつぎがわのたたかい)は、豊臣秀吉による九州平定の最中である天正14年12月12日(1587年1月20日)に、島津家久率いる島津勢と長宗我部元親・長宗我部信親父子、仙石秀久、大友義統、十河存保が率いる豊臣勢の間で行なわれた戦い。
この合戦は九州平定の緒戦で、豊臣勢が敗退した。
この説明でもある通り、緒戦は島津側の勝利でしたが、豊臣秀吉が物量で優勢に立つと島津家久は4兄弟の中では最も早く豊臣秀長軍と単独講和しましたが、その後佐土原城で急死します。
まだ41歳の若さでした。
このあたりの資料は少ないため、いろんな推論がなされています。
豊臣方の羽柴秀長による暗殺、逆に島津方による暗殺などです。
亡くなった時期と彼の若さやパワフルさを見ると暗殺を信じたくなる気持ちも分からなくはないです。
ただ、これはというきちんとした証拠がありませんので、ミステリーのまま時間に埋もれるかもしれません。
戦国時代を颯爽と駆け抜けた、あるいは合戦という華々しい舞台で大活躍したという点では4兄弟で一番かもしれません。
ある資料によると次男の義弘が家久の軍功に嫉妬したという記述もあるそうなので、彼の生きていた時代からその功績は絶大だと認められていたと言えます。
また、戸次川の戦いでは敗北して退却する長宗我部勢に対して、追い打ちはしないからゆるりと帰るようにと情けをかけたとも言われています。
武人として最も島津らしい生き方をしたそんな人物だったのではと思いました。
そして彼の息子に「島津豊久」という名前の部将が登場します。
この小説でも再三紹介した漫画「ドリフターズ」の主人公です。
彼もまた、父親同様武人として後世に名を残し、大河ドラマや他の大型時代劇でも時々出演しています。
もしも戦国島津で大河ドラマが製作されるとしたら、最も知名度が上がる部将になるかもしれません。
父と子が絡むシーンもあるでしょうし、そうなると次男の義弘、忠恒親子と対比されてもしかしたらまた義弘に嫉妬されるかもしれませんね(笑)
長くなりましたが、ツイッターでの島津4兄弟のお話はとりあえずお開きにしたいと思います。
皆様がこれから人気が出るかもしれないこの4人の個性を知るきっかけとなったとすればとてもうれしいことです。
ありがとうございました。
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