応援コメント

ツイッター島津4兄弟総選挙その7」への応援コメント

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様お昼のご愛読ありがとうございます。
    <(_ _)>😊

    次回のお話も楽しみにしてください。🌟😄✨🍀✨

  • それだけの働きをしたのに4千石は寂しいですね💦
    大隅さんの言う通り、薩摩は懐事情が良く無かったのかもしれませんね💦

    作者からの返信

    @momoyo-oki様夜中の貴重な時間、またいつもご愛読ありがとうございます。
    <(_ _)>😊

    後に豊臣秀吉が島津の仕置きをしたときに、義久、義弘それぞれに薩摩、大隅一国を与えましたが、その時の石高は10万石でした。

    信長が信玄と対峙していた時実質300万石前後、最盛期が700万石くらいと聞いているので、ますます懐の寂しさが(笑)

    だから、信長や秀吉基準で考えると島津の貧しさはますます目立つことになりますネ。😅😆🍀

  • なるほど、信長が秀吉が上だったら、少なくとも、信長は人を見る目がありましたよね。

    作者からの返信

    アメリッシュ様コメントありがとうございます。書く場所間違えると論争になるので、ここだけの話ですが、(マル秘)多分柴田勝家よりは戦功は大きいと思うので褒賞は多かったのではと思います。

    ただ、島津の部将はみんな言うこと聞かず独断で動くことがあるので(笑)その前に命令違反で処断されたりしたかも。

    この点総大将の義久はうまく部下を使っていた(放し飼いにしてた)ので組み合わせとしてやはり島津同士の方がよかったのかなとも思います。

    この辺の命令の感覚が上方と薩摩で違うので作者も少し混乱しています(笑)

  • 巧みな戦術で起死回生、カッコいいですね。

    作者からの返信

    星都ハナス様いつもありがとうございます。
    島津だと当たり前な感覚になるんですけど考えるとすごいことなんですよね。
    大友、竜造寺、長宗我部、みんなすごいビックネームなんですが、それを島津の一部将がやっつけたというのが驚きです。

    似た話は桶狭間の信長とか厳島の毛利元就などがありますが主将ですから。
    もしかしたら島津一の戦闘力かもと思ったりします。