ツイッター島津4兄弟総選挙その4

島津歳久(としひさ)島津4兄弟の三男です。

島津4兄弟総選挙での得票率は10.4%、実は後日紹介予定の家久よりも少ない第4位でした。


これは島津4兄弟の中で一番活躍が地味であることが大きいかなと個人的には思います。


この人物の評価として昔からこのような話が伝わっています。

祖父の忠良(日新斎)から「始終の利害を察するの智計並びなく」という評価をされました。


この評価の通り彼は戦略的視野で物事を見ることができた人物であったとされています。

有名な話として、豊臣秀吉と戦うかどうかを島津家中で話し合った際に、島津歳久だけが秀吉の恐ろしさを十分理解していいたため、戦うことに反対していたそうです。


結局は他の兄弟達や家臣の反対のため、この考えは通りませんでした。

後の歴史を見ても明らかなようにこの時、歳久の意見が通っていたら島津は豊臣によってきつい想いを軽減できたことでしょう。


そして歳久のこの先を見る卓越した能力が後に彼を悲劇の英雄として歴史に名を残すことになります。

豊臣秀吉との戦いは島津にとってとてもつらいものとなります。


初戦こそ、島津家久達の活躍で勝利を収めるものの、その後は秀吉軍の物量と手堅い戦術に押されていきます。

とりわけ、島津は野戦は強いのですが、攻城戦が苦手なため戦に土木を念入りに取り込んで堅陣を組んだ秀吉軍とは相性が最悪でした。


歳久が秀吉との戦いに反対した理由が「農民から体一つで身を興したからには只者ではない」というのは的を射た発言でした。

秀吉ほど昔の型にはまった野戦ではなく、武士らしくないアイデアに富んだ戦をする者はいなかったのです。


こうして戦は豊臣有利、島津劣勢のまま終わりを迎えようとしていました。

そして、今度は一方で家中が和睦に傾いた時に、歳久は、「和睦には時勢があり、今、このまま降伏すべきではない。」、今度は逆に歳久の方が反対します。


こうして、歳久は独自の視点でこの戦とその後始末について考え行動していくことになります。

次回はその後の歳久の決死の覚悟を紹介したいと思います。








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