また読ませて戴きます✨🤗✨✨✨
作者からの返信
オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読と応援ありがとうございます。<(_ _)>😊
オズ様の自由奔放な作風はマネは出来ませんが(笑)とても羨ましいです。
次もどうぞよろしくお願いします。✨😆🌟✨✨
義久様のターンにニコニコしてしまいました。やはり私は彼が好きだなとこちらの話を読んで思いました。派手ではないけれどそういうところが好きです
作者からの返信
@azuma_sakuraku様コメントありがとうございます。対外的には義弘に当主を譲った義久ですが、実質的な権限は晩年近くまで保持していたようです。
弟たちの活躍ばかりが目立ちますが、戦国島津の総大将は間違いなく義久です。
あまり、表には出てきませんが外交などの決定の多くが彼の判断によるものでした。
また、公家や幕府といった中央との接触も彼の働きが大きかったと思います。
これから、資料がさらに増えれば彼の見えない働きがさらに明らかになるかもしれませんね。
親の出自ではなく徳(や実力)をもってその人を見よ、と諭すのはなかなか出来そうで出来ない事ではないでしょうか。義久自身の徳の高さを表すエピソードのような気がします。
わたしなら義久に一票入れちゃうなあ。
作者からの返信
長倉冬青様ご愛読とコメントありがとうございます。<(_ _)>😊
島津家は伝統ある名家ですが、義久の場合、父が島津の当主となり実質2代目という立場です。
名家ではありますが、島津内部の争いで勝ち上がった祖父日新斎忠良は彼の祖父ではあっても島津本家の当主ではなく、あくまで息子の補佐をしていました。
このあたりの血筋と役割の違いも彼が徳をもってその人を見る助けになったかもしれません。
興味深いことに義久は秀吉が大の嫌いでした。
秀吉は関白であり、朝廷から認められていましたが、もしかしたら義久は彼の出自卑しさよりも、彼自身に徳がないと見たのかもしれませんね。😄🍀