第279話 やっぱりでました。勘違いの歴史、おわびします。

桐野作人様のツイッターで武士の人口に対する比率のお話がありました。

下記に記されているのがその内容です。


郷(外城)ごとだと、薩摩国の藺牟田(いむた)郷の武士人口比率は71.8%、日向国の須木郷に至っては、何と81.6%です。

これでは当然、禄では食べていけず、農業などの副業もしていたでしょう。農民など非武士身分の負担は相当だったと推定されます。「封建制の極北」という評価も大げさではない。


ちなみに私の小説で都城が日本一武士の割合の多い街と以前申し上げましたが間違えでしたのでお詫びして訂正したいと思います。

なおツイッターでこのことを完結に桐野先生に申し上げたところ、何と返事が返ってきました。


内容は下記のとおりです。

都城は41.7%ですね


ちなみになぜ私がこのような間違いをしたかと言いますと当時の武士の人口割合について全国だと5~6%、薩摩藩が30%前後ということで、もし都城を支藩と見立てた場合、全国一武士の割合の多い薩摩藩よりもさらに多いということで日本一と認識した次第です。


しかし、薩摩は支藩というものはなく上記にある郷(外城)というくくりで行政区を区切っていましたので、当然、薩摩国の藺牟田(いむた)郷と比べる必要が出てきます。


長くなりましたがこうした理由で間違った記述となった次第です。

弁明はこの辺にして、「封建制の極北」という評価も大げさではない。という言葉で桐野先生はこの記事を閉じています。


ちなみに意外と思われるかも知れませんが、武士の割合が薩摩国(ほぼ鹿児島)が26%、大隅国が28.3%、日向国(大体宮崎)41.3%となっており武士の多いと思われる薩摩よりも宮崎の方が割合が高いというのはわたしにとっては不思議でした。


もちろん武士だけでは食べていけないので農業もしていたと思われますが、農民の負担はとても大変だったと思います。


鹿児島と宮崎は県民性が異なり、全体として鹿児島は武人、宮崎は優しい感じでしたがこのデータを見ると宮崎の方が武人が多いので、大きな謎として今後の研究材料にしたいと思いました。


最後に桐野作人様は島津家と薩摩の歴史と言ったらこの方、というくらいの専門家で多くの出版物も出されています。

島津や薩摩の歴史に詳しい方ならよくご存じと思いますが、もし島津、薩摩に関連した知識を望まれる方は是非知っておくとよい方だと思います。

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