第221話 日本の福祉といろはの「ひ」

前の章で現代の日本の福祉と負の消費税について考えたいと言いました。

その前提として押さえておきたいことがあります。

それは、なぜ福祉が必要なのか、です。


障碍者がかわいそうだから、渋沢栄一の人間的な情からきたものだから?島津日新斎が禅宗の仏教徒でその教えに従ったから?

確かにそれらは理由としてはあると思います。

否定するつもりはみじんもありません。


ですが、それだけでしょうか。

私はそれだけとは到底思えません。

何故か。


これから記すことは私の推測も含まれますが、基本的には歴史的事実による考察であり渋沢栄一や島津日新斎の行動に基づくことを表明したいと思います。


まず、渋沢栄一は明治日本の資本と経済全体に対して関心がありました。

そして彼は今流にいえば「上級国民」です。

その中でも特別な人物です。


その彼が沢山の大企業を育てた後、晩年に至るまで福祉活動に精力を注ぎました。

私は彼は日本全体を考えた上で今の孤児院や生活保護のシステムや社会福祉協議会というシステムが必要だと考えたのではと思います。


彼の壮大な日本を豊かにする構想の中でこれらの仕組みがないと日本全体に甚大な不都合が生じる、そう考えていたのではないかと思います。

それはまるで、精密で巨大なコンピューターマシンの中の小さな部品、あるいはねじのようなもの。


でも、それが無くなると精密なマシンがきしみ始め、やがてはマシン全体が動かなくなるような、そんなイメージだったのではと思います。


エンジニアの皆様であれば、小さなねじであってもそれがマシンの中枢部に使われたものであれば、その損失を知った時必死に探し、あるいは機械を止めてでも直そうとするのではないでしょうか。


渋沢栄一の福祉に対する行動と熱意はそのような性質のものだったのではと思います。


とにかく、一つ確実に言えるのは近代日本のグランドデザインを描いたこの偉大な人物は、それを行ったのと同等以上の真剣さをもって弱者救済の福祉を行ったという事実です。


さて、島津日新斎についても話しましょう。

彼は確かに仏教に帰依していましたが、同時に現実にシビアな戦国武将でもありました。

しかも若いときに息子に家督を譲り、島津には珍しく戦よりも薩摩の経営と教育により力を入れていました。


何が言いたいかというと、彼は戦国時代における内政のプロフェッショナルです。

その彼がわずか47首という限られたいろは歌の中にわざわざ福祉について記述をしたということがどういう意味か、皆様も推察できると思います。


それは単なる思いやりとか優しさだけではなく、島津にとっても薩摩の民の生活にとってもとても重要な要素だったことを意味します。

渋沢栄一も島津日新斎も情が熱いとはいえ、本質はリアリストです。


次の章で扱いますが、この点をどうか念頭に置いて次の章をご愛読いただければと思います。


ミニ解説 【負の所得税】について。

累進課税制度と生活保護を一緒に繰り込み、同時に全国民に基礎的な健康保険を提供できる制度。

『税金をマイナス分支払う』=『国からカネをもらう』というやり方。


なお、この制度についてもこの後でさらに説明したいと思います。

それと、このアイデアは「なぜ日本経済は絶対に破滅しないのか?」について宇宙戦艦ヤマトの世界観を使って、イヤになるほど説明する!」という作品の作者である高瀬嘉隆@ガミラス帝国臣民の壁(ガミ公)様からお許しをいただいて紹介しています。


とても魅力的なアイデアが沢山ありますので、よかったらこちらの小説もお読みいただければと思います。


個人的には今、菅官房長官、(2020年9月12日現在)が発言した行政のスリム化後の消費税増税を行う前にこのアイデアを実行して行政コストを下げて欲しいと思いました。















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