また読ませて戴きます✨🤗✨✨✨
作者からの返信
オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読ありがとうございます。
<(_ _)>😊
またのお越しを心からお待ち申し上げています。🌟🍀✨🌟😊
編集済
劉秀の京劇形象について少し調べました。
劉秀が登場する京劇は、主に《打金砖》、《上天台》、《姚期》(また《草橋関》と言われます)、そしてこの三曲によって改編した《漢宮惊魂》。その中で登場した劉秀は……
曲のシナリオは随分素晴らしいと評判されるらしい(素人でも分かる程らしい)。
でも歴史を知る人は、これがフィクションであることって一目で分かる。
何故そうなってしまうのは、一つの説があります。
曲が作られた時代は明。これらの曲は当時の権力者を諷刺する為でした。(例えば有功の臣下を皆殺した朱元璋?)
劉秀は功臣を殺さないのは、知識人には良くわかることでした。ですからこの曲のことは史実ではないことって一目で分かる。その理由で劉秀選びました。
以上はこちらで調べたものです。
一つの説に過ぎないので、ご参考になれば幸いです。
作者からの返信
ブラボー!!!!!!!!!!
良くわかりました。
なるほど、あの肖像画でひどく書かれている朱元璋ですか。
なるほど、彼の部下に対する猜疑心の強さと粛清の容赦なさは《打金砖》のシナリオとピッタリです。
ちなみに日本語読みだとどちらも(こうぶてい)なんですよね。
偶然なんでしょうか。
しかし、中国統一王朝史上、功臣を粛清しなかったことで有名な光武帝劉秀で朱元璋を暗に批判するとは、明の時代の中国人もなかなか味なことをしますね。
お礼といってはなんですが、日本でも似た話があるので紹介します。
江戸時代に忠臣蔵という歌舞伎があったのですが、当時の忠臣蔵の登場人物は江戸時代ではなく、はるか昔の室町時代の人物を当てました。(しかも名前をもじった架空の人物をつかう用心深さです。)
なぜ、そのようなことをしたかというと、当時の忠臣蔵の話(江戸時代に起きた事件)をそのままの配役でやると江戸幕府に対する批判ととられるためだったそうです。
もちろん当時の人達は配役の名前こそ違え、あの事件のことかとすぐ理解出来ました。
まあ、暗黙の政治批判というのは当時もとても人気がありましたから当然ですが。
どこの国であれ、政治と庶民の関係というのは似たようなものなのかもしれませんね。
貴重な時間を使って長年の疑問を解決する情報を教えてくださりありがとうございます。
幕末の維新志士の多くが、松下村塾の出身でしたね。
多くの人に影響を与えたのは、
彼が人格者だったからでしょうかね(*´∀`*)
作者からの返信
あっちゅまん様ご愛読とコメントありがとうございます。<(_ _)>😊
おっしゃる通り彼が人格者だったのが大きな要因ですね。
詳しくは書きませんでしたが、彼は長州藩のエリートで凄く頭の切れる人物でした。
そんな彼がエリート風を吹かせず、明らかに学が足らない弟子たちと対等に議論できる環境を作ったのは当時としては革命的な事だったと思います。
しかもそれを奇をてらわず自然と成し遂げたという点が彼の人柄だったとすれば頭が下がる思いです。🍀😊