第186話 戦国島津といろはの「の」

逃(のが)るまじ 所を予(かね)て 思い切れ 時に至りて 涼しかるべし


現代語訳

どうしても逃れることのできない時や場というものがあるから 何事も事前に心の準備をしておくことです。

そうすれば時が来ても、何事もあわてることなく落ち着いて対処することができます。


この章はあえて歴史上の偉人ではなく「戦国島津」を扱うことにしました。

恐らく個人として、死を覚悟してことをのぞむ人は沢山いると思いますが、戦国島津の戦史を見るとこの章の意味が理解できると考えたからです。


まず、木崎原の戦い(きざきばるのたたかい)という戦いがありました。

島津義弘と伊東祐安が宮崎県えびの市で決戦をし、300人の島津勢が3000人の伊東勢を打ち破るというミラクルな戦いです。


その結果自体もミラクルなのですが、さらに恐ろしいのが、勝った島津勢は300人のうち257名を失っていることです。


もちろん負けた伊東勢の損失が800名以上ですから大勝なのは間違いないのですが、これだけの損失を出してなお軍勢が壊滅しないというのは戦国島津ならではだと思います。


他にも有名な関ケ原の「島津の退き口」についても触れたいと思います。

関ケ原の戦いで敗れたあと、約300人いた兵士が80人まで減らされていますが、この時も軍は壊滅せず目的の薩摩帰還を果たしています。


ちなみに関ケ原に参加した兵士は島津義久から戦に参加しないようにという命令を無視して参加しているので、決して誰かに強制されたわけではなく、自分から進んで参加した猛者たちです。


さて、これ以外にも島津は多くの戦いをしていますが、兵士数が少なくても大勝することが度々見受けられます。


これは、もちろん日頃の鍛錬もあるでしょうが、何よりもここで紹介したいろは歌にあるように普段から覚悟を決めていて、死を前にしても涼しかるべしとあるように達観しているのが相当に大きいのではないかと思います。


この当時の戦国大名の率いる兵士は農民か、あるいは傭兵です。

農民であれば、訓練度も低く数の割には戦力にならない場合があります。

傭兵であれば練度は高いかもしれませんが、戦が不利になれば頭で計算して退却してしまうでしょう。


島津の場合は農民の体力と傭兵の訓練度を兼ね備え、場合によってはいつでも死兵にもなります。

孫子も兵を死地において必死になって戦わせる方法を紹介しています。


どんな時でも腹を決めて戦っている軍隊ですからそれは強いでしょうし、相手にとってはこれほどやりにくい敵はいないでしょう。


ちなみに孫子を紹介したついでに申し上げますと、確かに島津兵は戦で死んだ数が多く見えますが、戦国全体を通してみると決して多くはありません。

300人中250人損失とか300人中80人生存などど聞くと怖い感じがしますが、島津は60万石の大藩です。(後に77万石になりますが)


石高で考えると動員兵力は約20000ほどとなります。

そう考えると、戦での死者の割合は他の家と比べて高いという訳ではありません。

現に戦国を生き抜き、最終的に薩摩と大隅と日向の国が残り、後の残りがすべて徳川方となった時でも十分戦える戦力を温存しています。


もし、関ケ原後の島津が戦争で疲弊していたのならば2年にもわたる徳川幕府との交渉などできなかったでしょう。

こうして腹をくくった島津は戦国時代を生き残りました。

孫子にこのような言葉があります。


必死なものは殺され、生きようとするものは虜となる。

「の」がれることのできない危険な時でも、心の準備をして、冷静に対処する

島津義久をはじめ薩摩隼人の腹をくくった態度が活路を見いだした歴史の奇跡だと思います。
















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