応援コメント

第184話 パウロといろはの「う」」への応援コメント

  • まさに心ありきですね。
    心に恥じない行動を取ることで、後悔しないように…ですね。

    作者からの返信

    あっちゅまん様夜中にお時間を取ってご愛読いただき、そしてコメントしていただきありがとうございます。<(_ _)>😊

    興味深いことに聖書の教えも日新公の教えも完全無欠な人間という概念に懐疑的出す。

    たとえばキリストだけが人として完全だったという教えは裏を返せば後の人類は全員不完全であるということです。

    また日新公もこういう行動をとりなさいとは言いますが固有名詞でこういう人間になりなさいとは言っていません。

    心というのは精密な部品のような物ではなく植物のような育てるものなのかもしれません。

    枯れないように、また悪い病に罹らないように良心に恥じないような行動を後悔せずダジャレを交えながら楽しく行えたらいいですね。😊😉😆

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読ありがとうございます。
    <(_ _)>🌟😊✨🌟✨

    次のお越しを楽しみにお待ちしています。😄

  • 人生はやり直しがきく

    これを深く考察することができれば、豊かな人生を送ることができると、なんとなく思います。

    パウロの罪悪感は聖書ではどう書かれていたか、読み直してみますね。

    作者からの返信

    アメリッシュ様、興味深いコメントありがとうございます。
    パウロはクリスチャン会衆にむけて自分の過去の罪深さを告白した後、イエス。キリストを通して神に感謝していると記していたと思います。
    新約聖書で顕著になりますが、人は何をしたか、という点よりも何を第一にして行動したかという点を神は見ていると書かれています。
    旧約聖書の厳しい掟が人の罪深さと神の救いの必要性の認識を知るためのものという視点もそれを裏付けています。
    つまり、過去はどうであれ、今、悔い改めよ、そして神に許しを乞いなさいというのが主眼としておかれている。
    私はそう読みました。
    まあ、キリスト教はそれほど詳しくないのでこの位にしておきたいと思います。

  • 後で後悔しないような行動を避けること?

    作者からの返信

    野林緑里様コメントありがとうございます。
    日新斎はこのいろは歌を自分の一族はもちろん、領民に向かって書いています。
    その中にはいろんな考え方や思想を持った人もいたと思います。
    悪人と分類される人や自分が悪人だと思い落胆した人もいると思います。
    そうした人たちすべてが前向きに、人の道を踏み外さないように、あるいは踏み外してもまたリトライできるようにこのような文を残したのではないかと思います。
    ここで、パウロを紹介したのは、過去に悪いことをしても立ち返ることが出来る例として適切と考えたからです。
    もちろん、後で後悔しない行動が出来ればそれが良いのですが、すでに悪いことをして、もうだめだと思う人向けの言葉と見た方がしっくりくるのではと個人的には思います。
    原文と現代語訳は清水榮一先生から拝借していますが、それ以外の解釈は私の見方なので、実際にはもっと深い意味があると思います。
    真剣に考えてくださりありがとうございます。