第156話 三成と左近といろはの「に」
本当は一話で終わらそうかと思いましたが、思い入れがあるので(笑)いろは歌の「に」についてもう少し話をしたいと思います。
石田三成についてはいろんな説がありますが、(例えばそれなりに武勇はあったとか)彼が戦下手なのは現実から離れてはいないようです。
そのことを意識していたのでしょうか、彼は戦上手の島左近を自分の家臣に迎えようと一生懸命に努力します。
一説によると彼に与えられた石高の半分を島左近に与えたとか、能力的には似ても似つかない三成と左近ですが、だからこそお互いの長所を伸ばし、弱点を出さない強いタッグとなったのでしょう。
事実、関ケ原の戦いのはじめのうちは石田軍は東軍の諸将に目の敵のように狙われていたにも関わらず、互角以上の戦いをしたそうです。
自分に「に」たものではなく優れた人を友人にすると、選択肢がとても広くなります。
それは政治的にも軍略的にも開発能力や技術革新の分野でも言えます。
特に軍略的には相手の裏をかくことが有効な場合が多くあります。
いわゆる孫子の兵法の「虚実」です。
三国志の曹操が得意としたこの戦術は相手が自分に対して油断したときに大いに威力を発揮します。
言葉で表すと、「あいつの能力はこの程度だからこれぐらいのことしか出来やしまい」という感じでしょうか。
人を見返したいと思うとき地道に努力するのも良いですが、自分とは発想が異なる友人を見つけて、その技術や考え方を教えてもらうようにすればその人の成長に飛躍的な形で寄与するという訳です。
こういう書き方をすると利己的な付き合いに感じる方もいるかもしれませんが、いろは歌をもう一度見返すと、自分と似た友を持つことを否定しているわけではありません。
ニュアンスとしては自分とよく合う友達もいいが優れた友を持つのはなおいいことですよ、そんな感じです。
それに互いに成長すると思えばお互い様な関係でもあるのでさほど気にすることもないのではと思います。
2章にわたり自分より優れた友を持つことについて考えました。
ここで挙げた劉備と諸葛亮、豊臣秀吉と竹中半兵衛、石田三成と島左近、それぞれがタッグを組んで大変な時代を切り開いてきました。
そしてこうして歴史に名を刻んでいます。
皆様も優れた友を題材とする小説や歴史をそれぞれ思い浮かべたと思います。
もしよかったら小説の題材にしたり、感想などの形で残してみてはいかがでしょうか。
私の方はいつでもお待ちしています。
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