第157話 上杉謙信と景勝といろはの「ほ」

佛神 他にましまさず 他人よりも 心に恥じよ 天地よく知る


現代訳

仏や神というのは、別世界にいるのではないのです。それぞれ自分の心の中にいるものです。

だから他人に恥じるのではなく、自分自身の心に恥じることです。

天地神仏は、何事も良く知っています。


神仏、天地とくればやはり名前が挙がるのは上杉謙信でしょう。

彼は、神仏に深く傾倒し、自らを毘沙門天の化身と信じていたとされています。

彼は戦をする理由として損得よりも自分自身の正義に基づいていたといわれています。


そうした理由だったため、時には損得勘定で思考する味方から落胆されたり、敵から足元を見られることもありましたが、それでも彼の名前は歴史に強く残りました。


全体的に見ると、彼を裏切ったものよりも彼を頼ったり信用した大名や家臣が多かったことが彼の評価を高めていると言えるでしょう。

何より、彼は己に恥じぬ生き方を貫いたという何物にも代えがたい存在を守り通しました。


戦国時代、一時的に勢力を拡大した大名や勢力は多々ありましたが、その多くが後に負けると雲散霧消して消えていきました。

上杉家も上杉謙信亡き後、存亡の危機を迎えることになります。

しかし、困難にあっても上杉の家臣の多くは謙信公の遺徳があり固く結束しました。


その中心となったのが上杉景勝です。

彼は謙信のような神懸かり的な戦闘能力はありませんでした。

しかし、彼は謙信の意思を継ぎ、神仏に恥じない行動を心掛けたようです。


その行動は動揺する家臣達を結束させました。

景勝の時代、上杉家は謙信死後の混乱の他に関ケ原の戦いの前に徳川家と敵対するという大きな存亡の時を迎えます。


武運拙く徳川に降伏することになり、石高も4分の一(120万石~30万石)と大幅に減らされましたが、上杉謙信に対する求心力のおかげか江戸時代を生き抜きました。


景勝の時代に上杉が生き残ったのはひとえに謙信公から続いた天地に恥じない道を景勝たちが貫いたからだと思います。

そうした行動が、敵ながらつぶすには惜しいという思いを徳川家に抱かせたのではと思います。


信仰による強い信念は戦に強い軍団を育て、お家が窮地になれば一致結束をはかりピンチを乗り越えてゆく。

敵味方を超えた何かが働き、加護を与えることとなるのでしょう。

天地神仏に恥じない生き方をすれば上位の存在はその生き方をきちんと見ている。


今の感覚だとお天道様が見ているというところでしょうか。

皆様はどのように感じられたでしょうか。


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